石川年足(いしかわとしたり)とは
蘇我氏の子孫で、奈良時代に聖武天皇から淳仁天皇まで3代の天皇に仕え、正三位まで昇ったことなどが、続日本紀に記録される。 万葉集に、晩年の天平勝宝4年(752年)に詠んだ「天にはも 五百つ綱延ふ 万代に 国知らさむと 五百つ綱延ふ」の歌が収められている。 この歌を詠んだ2年後に亡くなり、摂津国嶋上郡の酒垂山(大阪府高槻市)に埋葬された。
国宝『金銅石川年足墓誌』
金銅製(銅に金メッキ)長さ30cm弱×幅10cmほどの縦長の銅板で、130字の銘文を刻み、周りを唐草模様で飾っている。 文政3年(1820年)に発見された時は、木炭で囲われた木箱の中に、この金銅墓誌と人骨が納められていたと記録に残る。 奈良時代の貴族階級の埋葬の風習や、埋葬の土地の奈良時代の旧名が判明するなど、工芸品としてだけでなく、社会学的な資料としても貴重。
この国宝を観るには
個人蔵の国宝で、大阪歴史博物館に寄託されているが、公開されることは少ない。 数年に1度程度公開されるほか、他館へ貸し出される場合もある。
公開履歴
2020/10/27~12/13 大阪市立美術館「天平礼賛」
2018/10/6~12/2 今城塚古代歴史館「藤原鎌足と阿武山古墳」
2017/9/22~10/22 高岡市美術館「家持の時代」
2010/4/7~5/31 大阪歴史博物「遺跡から見た奈良時代の大阪」
2009/4/29~6/15 大阪歴史博物館「名品展」
2006/4/1~5/15 大阪歴史博物「常設展10F」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-835
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00003-00
【種別】考古資料
【指定名称】金銅石川年足墓誌
【ふりがな】こんどういしかわとしたりぼし
【員数】1面
【時代・年】天平宝字6年(762年)
ト書】天平宝字六年十二月二十八日葬于/摂津国嶋上郡白髪郷酒垂山墓在銘/大阪府高規市大字真上出土
【附指定】木櫃残闕(銅釘付)一括
【所在地】大阪歴史博物館
【所有者】個人
【国宝指定日】1952.03.29