安倍文殊院のこと
奈良県桜井市にある安倍文殊院は、大化の改新後に左大臣になった「安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)」が安倍一族の氏寺として、「安倍山崇敬寺」(安倍寺)を建立したことに始まる。
鎌倉時代頃までは、多くの塔頭を擁する大寺院として栄えたことが記録に残る。 戦国時代の兵火で伽藍のほとんどを焼するが、江戸時代初期には現在の本堂が再建され、文殊菩薩を本尊として「日本三文殊」にも数えられる。
境内には、平安時代に陰陽師として重用される安倍晴明をまつる晴明堂や、安倍氏に関係があるとされる古墳などがある。
国宝『騎獅文殊菩薩・脇侍像』
知恵を司る文殊菩薩は、釈迦三尊として獅子に乗った姿で釈迦の脇侍になるが、単尊としても信仰される。 この作品は、善財童子が先導し、優填王に手綱を取られた獅子に乗る文殊菩薩に、維摩居士(最勝老人)と須菩提(仏陀波利三蔵)が付き従う。
国宝に指定されているのは、維摩居士(最勝老人)を除く4躯で、東大寺を中興した重源の縁で仏師「快慶」が作り、文殊像の墨書から建仁3年(1203年)作だと判明している。 維摩居士(最勝老人)は後補で、像内に「住吉大明神也、慶長十二年、南都大仏師宗印等」の銘があり、宗印という仏師の慶長12年(1607年)の作である。
この国宝を観るには
2024年5月~2025年夏頃は、令和の文化財保存事業で本堂の耐震工事が行われ、仏像の移動日などは養生で見えづらい場合もあるが、原則として拝観は可能。 2024年7月~2025年6月は、文殊菩薩が獅子から降りた姿で安置される
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-4231
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00128-00
【種別】彫刻
【指定名称】木造騎獅文殊菩薩及脇侍像
【ふりがな】
【員数】4躯
【時代・年】建仁3年(1203年)
【ト書】文殊菩薩像内に建仁三年、巧匠安阿弥陀仏の銘がある
【附指定】仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言等1巻、木造最勝老人立像宗印作1躯
【所有者】文殊院
【国宝指定日】2013.06.19
【説明】建仁3年(1203)~承久2年(1220)に快慶が造った、中国五台山を舞台とした文殊説話を主題とする群像。文殊の壮麗で生気に富んだ姿は、快慶壮年期の作風を示す。東大寺大仏の再興事業に関連し俊乗坊重源の構想による記念碑的造像である。
鑑賞ログ
2019年6月
安倍文殊院には何種類かの拝観券があり、今回はフルセットの本堂・浮御堂・お抹茶付き、¥1,200にしました。 本堂は、数十分おきくらいで僧侶の方の解説があり、その前後に本堂内を拝見します。 本尊の文殊像以外にも仏像や寺宝が多くて、解説もあるのでゆっくり拝見します。
浮御堂は、池の中に建つ六角堂で、安倍仲麻呂と安倍晴明の像をまつっていて、十二天像をはじめとする宝物館も兼ねられています。 十二天像は12幅の掛軸で、3ヶ月ごとに3幅が公開され、GW頃の弁財天の大祭では、全て公開されるようです。
浮御堂の参拝では、「七まいり」のお札も頂けます。 これは、人生の七難を除けるために御堂の廊を7回まわるもので、向かって左から時計回りで「〇〇しないように」と願います。 「病気しませんように」とか「貧乏しませんように」とかブツブツ言いながら結構細めで落っこちそうな回廊を回ります。 1周すると金色のお札を1枚おさめるので、回った回数が分からなくなることはありません。 ちょっと時間はかかりますが、とても楽しいですよ。
拝観が終わると、本坊の客殿でお抹茶を頂きます。 畳の広間にお茶を運んで来て下さいますが、広間の片側には、お寺によくある低い椅子が並べてあるので、正座が苦手な方でも大丈夫ですよ。 お菓子は、晴明神社の紋にもなっている「五芒星」の落雁でした。 五芒星は魔除けになるそうなので、ここでも厄除けができました。