知恩院のこと
浄土宗の宗祖である「法然上人」が、承安 5年(1175年)にこの地に草庵を結び、専修念仏の布教したことに始まる。 43歳から晩年に数年流罪になった期間をはさみ80歳で亡くなるまで、この地で過ごした。 戦火や旧仏教勢力との対立を経て、江戸時代には皇族を門跡に迎え、浄土宗徒だった徳川家が寺領や伽藍を寄進し今のような姿になる。 浄土宗の総本山。
国宝『本堂(御影堂)』
知恩院は、浄土宗の宗徒であった徳川将軍家の庇護を受け、家康が開幕して間もなくから大規模な伽藍の造営を始める。 御影堂は、寛永10年(1633)の火災で焼失するが、すぐに当時の将軍家光によって再建され、寛永16年(1639年)に完成した建物が、現在まで残っている。
御影(みえい)とは宗祖や高僧の像や画像のことで、法然上人の像を安置しているため「御影堂」、また知恩院で最大の建造物のため「大殿」とも呼ばれる。
桁行(横幅)は11間(柱の間が11つ)45m、梁間(奥行)は9間35mと大規模な堂で、周囲には縁がめぐらされる。 屋根は瓦葺の入母屋造りで、正面5間は向拝が付く。 全体的に穏やかな和様建築だが、内部の意匠には禅宗様の要素も取り入れられている。 御影堂から集会堂や方丈を結ぶ「歩廊」も、附として国宝に指定されている。
この国宝を観るには
知恩院は、境内の参拝は無料なので、御影堂も無料で内部拝観できる。
開門時間:季節により5:00~6:00
閉門時間:16:00
知恩院の国宝
本堂 ※このページ
三門
上宮聖徳法王帝説
法然上人行状絵図
阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)
菩薩処胎経
大楼炭経
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-1774
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00222
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】知恩院本堂(御影堂)
【ふりがな】ちおんいんほんどう(みえいどう)
【員数】1棟
【時代・年】寛永16年(1639年)
【構造・形式】桁行十一間、梁間九間、一重、入母屋造、正面向拝五間、背面向拝三間、本瓦葺
【附指定】歩廊1棟
【所在地】京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町
【国宝指定日】2002.05.23
【説明】知恩院は,京都東山の山麓にある浄土宗総本山で,本堂(御影堂)は中心建築の建ち並ぶ伽藍中段にある。 本堂(御影堂)は,寛永10年(1633)焼失後,徳川家光によって寛永16年(1639)に建立された。桁行11間,梁間9間,入母屋造,本瓦葺の建物である。 全体として外観は和様でまとめ,内部は禅宗様の巧みな技法を駆使して柱が林立した空間をつくり,浄土宗本堂の建築的特徴を最大限にあらわしている。 意匠や技術の面において極めて優れ完成度も高く,江戸初期における徳川家の大造営の代表として位置づけられ,我が国の建築史上極めて高い価値がある。 総本山本堂に相応しい壮大な規模と雄麗な内部を創出し,我が国の社会に広く影響を及ぼした浄土宗の中心建築として,特に深い文化史的意義を有している。