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国宝-建築|松江城 天守[島根]

国宝DB-建築

松江城のこと

豊臣秀吉と徳川家康に仕え、関ヶ原の戦功で隠岐・出雲を拝領した「堀尾吉晴・忠氏父子」が入城する。 10年ほど後の慶長16年(1611年)には、現在の天守が完成するが、その後は20年ほどで嗣子がなく、改易(お取りつぶし)になる。 その後は京極家が入るが、わずか3年で忠高に嗣子がなく、転封となる。 寛永15年(1638年)には、結城秀康の子で松本藩主だった松平直政が藩主となり、明治まで松平家が治める。 茶人大名の不昧公として有名な「松平治郷」は、直政から7代後の藩主。 明治に入ると廃城になるが、地元の有志が資金を集めて買い取り、現在は松江市の所有となっている。

国宝『天守』

慶長16年(1611年)に堀尾氏によって建造された天守は、4重(屋根が4層)で、内部は地上5階、地下1階となっている。 入母屋の破風が付き、その下には禅宗建築によくみられる「花頭窓」があるなど、桃山期の装飾性も伝えている。 屋根には2mほどの木造銅張りの鯱鉾を戴き、これは現存する木造製としては最大の大きさ。

江戸時代に入ってはいても、まだ戦国の雰囲気が残る中で、この天守も戦に備えた石落としや、内部に井戸を有する。 天守は、居住空間としてではなく、軍備を貯蔵していた。 防御を固くするために、入口に附櫓が作られている。

国宝『松江城 天守』
国宝『松江城 天守』
国宝『松江城 天守』内部
国宝『松江城 天守』天井の棟札
国宝『松江城 天守』国宝指定書

この国宝を観るには

年中無休で登閣可能。

4~9月 8:30~18:30
10~3月 8:30~17:00
※いずれも受付は30分前まで

この国宝でのイベント

元旦   天守閣からの初日の出(有料、人数制外あり)
3~4月 花見の時期にあわせた「お城まつり」
9月   天守から月を観る「名月観賞会」
12月   すす払いは一般参加可能 

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2953
【指定番号】00953
【種別】近世以前/城郭
【指定名称】松江城天守
【ふりがな】まつえじょうてんしゅ
【員数】1棟
【時代・年】慶長16年(1611年)
【寸法・重量】四重五階、地下一階付、本瓦葺、南面附櫓 一重、本瓦葺
【附指定】祈祷札2枚、鎮宅祈祷札4枚、鎮物3点
【所在地】島根県松江市殿町一番地続六
【国宝指定日】2015.07.08
【説明】松江城は,松江市街の中心部,亀田山に築かれた平山城である。慶長5年(1600)に出雲・隠岐の領主となった堀尾氏が,同12年より築城を開始し,同16年にほぼ完成した。現在の天守はこの時につくられたものである。
 外観は四重,内部五階,地下一階の形式で,正面の南面には玄関となる附櫓を設け,屋根はすべて本瓦葺である。軸部は長さ二階分の通し柱を多用しており,周囲に包板)を釘や鎹,帯鉄で取り付けた柱も多数見られる。部材の番付は二種類に大別され,二階以下に用いられた分銅紋に「富」の字を刻む部材は,安来市にあった富田城の部材と思われる。
 松江城天守は,中国地方に唯一残る荘重雄大な四重五階の天守である。最近になって再発見された二枚の祈祷札から,慶長16年(1611)の完成が明らかとなった。
 通し柱による構法などの独自の建築的特徴を有し,近世城郭最盛期を代表する建築として極めて高い価値がある。防御性を重視した中世山城から,高層化して近世都市の基軸へと進展してきた我が国の城郭文化の様態をあらわしており,深い文化史的意義がある。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

ついでにグルメ

松江城一帯は「松江城山公園」として整備されていて、敷地内には明治の西洋建築「興雲閣」があります。 皇太子時代の大正天皇が宿泊したという建物で、内部を見学できるだけでなく、1階の一部がカフェ「亀田山喫茶室」として使われています。

カフェの内部は豪華絢爛というわけではありませんが、懐かしい教室のような雰囲気でほっこりします。 コーヒーや紅茶だけでなく、レモンスカッシュや各種フロートなど飲み物メニューが充実していますし、朝9時~10:30にはモーニングメニュー、11時以降はトーストやナポリタンなど軽食もありますので、松江城観光の前後に組み込みやすいのではないでしょうか。

松江城山公園内「亀田山喫茶室」
松江城山公園内「亀田山喫茶室」
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