銀閣寺のこと
「銀閣寺」の通称で有名な「慈照寺」は、距離は離れているが臨済宗の京都五山の第二位「相国寺」の塔頭である。 室町8代将軍の義政が隠居後に建てた山荘で、風流な東山文化の中心地だったが、義政の没後に寺に改められた。 造営当初は広大な敷地にいくつもの建物が建ち並んだが、現在まで残るのは東求堂と国宝『銀閣』のみで、共に国宝に指定されている。
国宝『東求堂』
東求堂(とうぐどう)は、一辺が7メートル弱の正方形で、中を4つに仕切り、庭に面した2間は仏間とその付属のような部屋になっている。 奥に「同仁斎(どうじんさい)」という書斎があり、草庵茶室の原点とも四畳半の始まりとも言われている。
同仁斎は四畳半の畳敷きで、一面の壁の左1/3ほどを違い棚、2/3ほどは「付書院」という机にも棚にもなる高さのあるスペースが作られている。 付書院の上部は障子で、開ける幅により庭の景色が掛け軸のように見える。 その後の書院造りではこの場所は「床の間」として書画を掛けるようになる。
この国宝を観るには
外観は銀閣寺の拝観で観ることができ、春と秋の特別公開時には内部に入っての拝観可能。 拝観料とは別に追加料金(2023年春から¥2,000)が必要で、各回人数を20人に限定した案内付きの見学となる。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-1645
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00006
【種別】近世以前/住宅
【指定名称】慈照寺東求堂
【ふりがな】じしょうじとうぐどう
【員数】1棟
【時代・年】文明17年(1485年)
【寸法・重量】桁行6.9m、梁間6.9m
【構造・形式】一重、入母屋造、檜皮葺
【所在地】京都府京都市左京区銀閣寺町
【国宝指定日】1951.06.09
鑑賞ログ
2018年11月
秋の特別拝観で見学。 拝観料の他に1人¥1,000かかりますが、けっこうしっかりしたパンフレットを付けてくれて、少人数で案内して頂けるので割高感はありません。
最初に通される本堂は与謝蕪村の間と池大雅の間で、各室の障壁画を蕪村と大雅それぞれ1人で描いています。 これは高精細のレプリカですが、日当たり良さそうだからしょうがないですね。 それでも、実際にそれがあった場所で、畳に座って観られるのは、貴重な体験です。 蕪村の飲中八仙は酔っぱらって弟子に支えられて歩く仙人がとてもチャーミング。 大雅の琴棋書画も柔らかい愛嬌のある姿です。
渡り廊下を渡ると東求堂ですが、ここはとにかく「同仁斎」です。 パンフレットの写真には、違い棚も付書院も何も置かれていませんが、私が見学した時は銀閣寺に伝わる御物がたくさん並べられていました。 付書院は文具類で、凝った水差しや文鎮など「書斎」の雰囲気が出ています。 ここでお気に入りの道具に囲まれて過ごしたらどんなに素敵でしょうか。