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国宝-建築|八坂神社 本殿[京都]

国宝DB-建築

八坂神社のこと

京都祇園のシンボル的存在で、初詣では100万人もの参拝客が訪れる「八坂神社」は、素戔嗚尊(すさのをのみこと)やその妻の櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと、くしなだひめのみこと)とその子供達を祀る。 

これは明治時代の神仏分離令で定められたもので、それ以前の主祭神は「牛頭天王(ごずてんのう)」で、名称も「祇園社」や「祇園感神院」としていた。 京都の夏の風物詩「祇園祭」は、八坂神社の祭礼である。牛頭天王は、釈迦が仏教を布教した僧院「祇園精舎」の守護神で、日本の神仏習合では素戔嗚尊の本地仏とされ、道教の武塔神とも同一視される。

疫病除けのご利益があるとされるが、備後国風土記に載る次の逸話による。 貧しい暮らしをする蘇民将来(そみんしょうらい)が、一夜の宿を請うた武塔神をもてなし、その礼として疫病除けの「茅の輪」の法を授け、子孫を助けると約束した。 武塔神の訪問を断っていた兄弟の巨旦将来一族は滅ぼされ、蘇民将来は助かった。 現在でも行われる「茅の輪くぐり」や「蘇民祭」、祇園祭で授与される粽の「蘇民将来子孫也」は、これにあやかったもの。

国宝『本殿』

2020/10/16に国宝に指定されることが発表され、同年の12/23の官報で国宝の指定を告示された。

八坂神社の創建については諸説あるが、平安時代の初期にはすでに朝廷や藤原氏からの庇護があり、その後も足利将軍家、豊臣家、徳川将軍家と、時代の有力者の庇護を受けた。 また祇園祭の山鉾巡行は、室町時代中~後期頃には現在に近い形になっていたようで、それを支えた富裕な町人によっても守られてきた。

現在の社殿は、徳川4代将軍の家綱が寄進したもので、承応3年(1654年)に建立された。 一般的な神社建築では、神を祀る「本殿」と拝礼を行う「拝殿」が並んで立てられることが多いが、八坂神社は密接した本殿と拝殿を、1つの大きな屋根で覆う「祇園造」で建てられている。 檜皮葺で入母屋造の屋根は、前と左右の3方に庇が伸びている。

八坂神社 本殿[京都]

この国宝を観るには

八坂神社は、24時間1年中無料で参拝することができる。 9:00~16:00に5千円以上の祈祷料で申し込むと、本殿への昇殿参拝ができる。

八坂神社 公式サイト

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文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-1791
【指定番号】
【種別】近世以前/神社
【指定名称】八坂神社本殿
【ふりがな】やさかじんじゃほんでん
【員数】1棟
【時代・年】承応3年(1654年)
【寸法・重量】桁行七間、梁間六間、祇園造、入母屋造、檜皮葺
【所在地】京都府京都市東山区祇園町北側
【重文指定日】1911.04.17

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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