西本願寺のこと
浄土真宗の総本山で、正式名称は「本願寺」だが、元は1つの宗派が分裂した真宗大谷派(東本願寺)と区別しやすいため「西本願寺」と呼ばれることが多い。 元は、東山にあった親鸞聖人の廟堂が発展したもので、焼き討ちや移転を経て、豊臣秀吉の京都整備で現在の地に移った。
国宝『御影堂』
御影堂は、宗祖や開山の像などをまつる堂で「みえいどう」と読まれることが多いが、西本願寺では「ごえいどう」と読む。 宗祖「親鸞聖人」の木像を安置し、歴代宗主の画像もまつられる。
国宝の『阿弥陀堂』(45×42m)よりも大きい48m×62mで、2つの御堂は渡り廊下でつながれている。 西本願寺の門を入ると、巨大な両堂が左右に並んでおり、向かって左が御影堂である。 建立は、江戸時代最初期の寛永13年(1636年)で、阿弥陀堂よりも120年ほど古い。
この国宝を観るには
西本願寺は、御影堂や阿弥陀堂などは拝観料を取っておらず、開門時間内(5:30~17:00)はいつでも拝観できる。
毎朝6時からの「晨朝(じんじょう)」は朝のお勤めで、一般の参加も可能。 御影堂と阿弥陀堂で法要が行われ、続いて法話がある。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-1824
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00230
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】本願寺御影堂
【ふりがな】ほんがんじごえいどう
【員数】1棟
【時代・年】寛永13年(1636年)
【寸法・重量】桁行62.1m、梁間53.8m、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺
【所在地】京都市下京区堀川通花屋町下る門前町
【国宝指定日】2014.09.18
【説明】本願寺は,下京区堀川通に面して位置する浄土真宗本願寺派の本山で,西本願寺と通称される。文永9年(1272),親鸞の末娘覚信尼が東山大谷の地に親鸞の遺骨を改葬し,廟堂を建立したことにはじまり,室町時代には多数の門徒を抱える仏教集団に発展した。その後寺地を転々とした後,天正19年(1591)より現在の地で伽藍を整えた。境内の中心には御影堂と阿弥陀堂の両堂が東を向いて並ぶ。
宗祖親鸞の木像を安置する本願寺御影堂は,寛永13年(1636)に上棟した。平面は桁行62.1メートル,梁間48.3メートルで,江戸時代の建築として現存最大級の規模を誇る。外陣部は多数の門徒を収容するために441畳もの広さを有し,太い柱が林立して上部に虹梁を架け渡し,広大な内部空間を実現している。内陣まわりは金箔,彫刻欄間,障壁画,彩色等で荘厳している。建登せ柱や軒支柱,多様な虹梁など,江戸時代前期における高度な架構や技法を駆使している。
本願寺御影堂は,小規模な道場から出発し広壮な仏堂に到達した真宗本堂の頂点に位置づけられる建築である。多数の門徒により支えられ,社会に絶大な影響を及ぼした真宗本山の象徴として,文化史的に大きな意義を有している。