醍醐寺のこと
古義真言宗「醍醐派」の総本山で、空海の孫弟子「理源大師 聖宝(しょうぼう)」が、笠取山の山頂付近に准胝観音と如意輪観音をまつったことに始まり、このエリアは「上醍醐」と呼ばれている。 醍醐天皇の帰依を受け、醍醐天皇やその皇子である朱雀天皇と村上天皇らによって山裾に伽藍が建立され「下醍醐」と呼ばれる一帯が整備される。 その後も、白河上皇や足利将軍家など時の有力者によって保護されており、戦火や天災から復興している。 豊臣秀吉の「醍醐の花見」が有名で、その際にも大規模な整備がされている。
国宝『金堂』
下醍醐に最初に建立された金堂は、醍醐天皇の御願で延長4年(926年)に釈迦堂として建立されたが、鎌倉時代に焼失している。 その後のものも戦国時代に焼失し、現在の金堂は豊臣秀吉によって紀州(現在の和歌山県)湯浅から移築されたもの。 当時の記録が少なく、湯浅のどこにあったものかなど詳細は不明だが、現在は残っていない「満願寺」の堂宇だったという記録もある。
平安時代末期頃に建てられたもので、横7間(柱と柱の間が7つ)奥行5間で、屋根は瓦葺きの入母屋造り。 移築前と移築時に大規模な改修がされているので、各時代の様式が混在している。 中には、醍醐寺の本尊である「薬師如来坐像」が安置されている。
この国宝を観るには
下醍醐エリアの中心伽藍で、時間内は有料で拝観できる。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-1903
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00202
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】醍醐寺金堂
【ふりがな】だいごじこんどう
【員数】1棟
【時代・年】1086~1184年
【構造・形式】桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
【所在地】京都府京都市伏見区醍醐伽藍町
【国宝指定日】1954.03.20
【附指定】棟札1枚