国宝『法隆寺 廻廊』
法隆寺の中心的な伽藍は、中門から正面の大講堂まで、中央の左右に並ぶ五重塔と金堂を囲むように、廻廊(回廊)がめぐらされる。 廻廊のやや北側には、左(西側)に経蔵、右(東側)に鐘楼を経由している。 平安時代までの廻廊は、経蔵・鐘楼の手前で閉じられており、大講堂・経蔵・鐘楼は廻廊の外にあった。
法隆寺にある飛鳥~奈良時代初期までの建築は、柱の中心からやや下部が一番太く、上に行くほど細くなっており、これは「エンタシスの柱」と呼ばれる。 エンタシスはパルテノン神殿などギリシャ建築によくみられ、その様式が伝わったのか別の文化として完成されたのかは諸説ある。 長く伸びる廻廊は、エンタシスの柱をよく観察することができる。
この国宝を観るには
西院伽藍の有料拝観エリアを囲んでおり、外側からでも見学することは可能だが、中に入ると屋根の下を歩くことができる。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】102-2689
【棟名】東廻廊
【ふりがな】ひがしかいろう
【員数】1棟
【構造・形式】折曲り延長四十二間、一重、本瓦葺
【台帳・管理ID】102-2690
【棟名】西廻廊
【ふりがな】にしかいろう
【員数】1棟
【構造・形式】折曲り延長四十間、一重、本瓦葺
【台帳・管理ID】102-02689
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00024
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】法隆寺廻廊
【ふりがな】ほうりゅうじかいろう
【時代・年】飛鳥時代(593~709年)
【所在地】奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
【国宝指定日】1951.06.09
【説明】法隆寺中門の両端を起点とする廻廊は、金堂・五重塔を囲みながら北上ののちいったん東西に屈折し、さらに北転して経蔵・鐘楼を含めつつ大講堂に達している。このうち当初部分は金堂・五重塔背後の屈折点までで、もとはここで東西に連結されて北面を閉ざしていた。現状のように拡張されたのは平安時代中期とみられる。
ここでのなによりの特徴は、横長の金堂とそれより小さな正方形の五重塔とを左右に並列し、かつ堂塔と廻廊との間隔を均等に扱おうという意図から、南辺廻廊を中門から東は十一間、西は十間と長短をつけていることである。視覚的な均衡を考えた、心にくい配慮といえる。
梁間は三・七メートルの単廊で、外側柱筋は出入り口を除いてすべて連子窓で閉ざし、内側は開放である。柱には飛鳥時代特有の胴張りをつけ、皿斗付の大斗、のびやかな肘木、木口を正面にみせる巻斗などが、金堂・五重塔と同じ様式で、建立年代の近いことを示す。全体が円弧状にゆるやかに反り上る虹梁もまた美しい。
昭和五十七年に、七世紀中ごろと比定される山田寺廻廊(奈良県桜井市)が建築部材をともなって発掘され、直接比較できる好個の資料をえた。山田寺では、柱が短くしたがって建物の建ちが低いこと、連子窓の面積が小さく連子子が太いこと、長押が下のみの使用であることなど、法隆寺とはまたちがった面があり、当時の建築様式の多様性をうかがわせる。