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国宝-工芸|金銅鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾)[平等院/京都]

国宝DB-工芸

平等院のこと

宇治川の西岸にあった藤原道長の別荘を、道長の没後の永承7年(1052年)に長男頼道が寺に改めた。 この地は、更に古くは源融の別荘だったという。 頼道の頃に阿弥陀堂が建立され、その後も頼道の一族によって堂宇が整備されるが、後年たびたび戦火にあい大半が焼失している。 建造物が国宝に指定されている『鳳凰堂』には、現存唯一の大仏師「定朝」による国宝『阿弥陀如来像』や『雲中供養菩薩像』が現存する。 平成6年(1994年)に世界文化遺産に登録された。

平等院鳳凰堂

国宝『金銅鳳凰』

鳳凰堂の中心部分で、本尊の阿弥陀如来を安置する「中堂」屋根の大棟両端には、金銅製の鳳凰像が据えられている。 修復と保存のために昭和40年(1965年)に取り外され、それ以降鳳凰堂の屋根には複製が据えられている。 昭和26年(1951年)の第1回国宝指定で、鳳凰堂と共に国宝に指定されていたが、昭和48年(1973年)に単独で国宝に指定された。 平成16年(2004年)11月1日から使用開始された1万円紙幣の裏面には、南側の鳳凰像がデザインされている。

この国宝を観るには

平等院の宝物館「平等院ミュージアム鳳翔館」で常設展示されているので、拝観時間内に観ることができる。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-552
【指定番号】00252-00
【種別】工芸品
【指定名称】金銅鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾)
【ふりがな】こんどうほうおう(ほうおうどうちゅうどうきゅうむねかざり)
【員数】1対
【国】日本
【時代・年】平安時代
【所有者】平等院
【重文指定日】1972.05.30
【国宝指定日】1973.06.06
【説明】鋳銅鍍金【ちゆうどうときん】。胸を張り、翼尾を大きく広げて立つ姿の鳳凰である。三部に別鋳して組み合わせている。鳳凰堂は関白左大臣藤原頼通が建立し、天喜元年(一〇五三)三月四日落慶供養された鳳凰はこの中堂大棟の南北両端に据えられたものである。遺品の少ない平安時代の工芸品であり、傑出した優品である。また日本金工史上代表的遺品ということができる。昭和二十六年鳳凰堂とともに国宝に指定され、修理保存のため四十年に取りはずされ、四十七年改めて重文となり、さらに今回国宝となったものである。

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
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