文覚上人のこと
平安末~鎌倉時代の僧「文覚(もんがく)」は遠藤盛遠という武士で、上皇の御所を警備する「北面の武士」だったが、同僚だった源渡(みなもとのわたる)の妻で美女として名高い袈裟御前(けさごぜん)に横恋慕し、袈裟御前を殺害してしまう。 悔いて出家をし諸国を行脚した後に、崇敬していた空海ゆかりの神護寺の再興を志し、後白河法皇に寄進を強要して伊豆へ流罪となり、そこで源頼朝を知り挙兵を促したといわれる。 後に後白河法皇や頼朝の寄進を受けて、神護寺や東寺を復興した。
国宝『文覚四十五箇条起請文』藤原忠親筆
壇ノ浦で平家が滅亡する数か月前の元暦2年(1185年)1月19日に、神護寺内の者が守るべき規則を文覚が定めたもので、修行に関することや寺の運営に関することまで内容は多岐にわたる。 記したのは公家の中山家の家祖となる藤原忠親(中山忠親)で、巻末には後白河法皇の自筆による文が5行加えられ、巻首と巻末には法王の手印が捺されている。
この国宝を観るには
毎年GWの数日間に神護寺で行われる「虫払」で公開される。
寺外での公開
2024/8/14~9/8 東京国立博物館「神護寺-空海と真言密教のはじまり」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-820
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00046-00
【種別】古文書
【指定名称】文覚四十五箇条起請文〈藤原忠親筆/〉
【ふりがな】もんがくしじゅうごかじょうきしょうもん
【員数】1巻
【時代・年】鎌倉時代
【作者】藤原忠親
【ト書】後白河天皇宸翰御手印御跋
【所有者】神護寺
【国宝指定日】1954.03.20