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国宝-歴史|琉球国王尚家関係資料[那覇市歴史博物館]

国宝DB-考古・歴史資料

琉球「尚家」

現在の沖縄県は、江戸時代までは「琉球国」という国で、独自の文化を持っていました。 「尚家」は、1470年(成化6年、文明2年)に「尚円(しょうえん)」が即位してから、1879年(明治12年)に沖縄県が設置されるまで約4百年もの間、琉球の王家であった。 最後の王で尚家第19代の「尚泰(しょうたい)」は、明治維新後に侯爵に叙せられ、尚家は現在まで続いている。

国宝『琉球国王尚家関係資料』

尚家に伝わった工芸品85点と、古文書・文書類1,166点が一括で国宝に指定されている。 工芸品には国王の衣装をはじめ、王家一族の衣装が多く約60点と大半をしめる。 その他の工芸品は、金属や陶磁器の食器や調度品、蒔絵や螺鈿の出箱のほか、3口の刀剣が含まれる。 文書類は、明治期に東京に移したものが関東大震災で焼失し、沖縄の尚家が所蔵していたものは第二次世界大戦で失われ、18~19世紀の資料を中心に一部しか残っていない。 

王家が近隣諸島に生地の注文を出す際の見本として作られた「御絵図帳(みえずちょう)」は、織物や染物の柄を和紙に描いたもの。 薩摩藩や清との関わりのわかる資料も多い。 

国宝『琉球国王尚家関係資料』より「黒漆脇差拵(治金丸)」
国宝『琉球国王尚家関係資料』より「御絵図帳」

刀剣

黒漆脇差拵(治金丸)
青貝螺鈿鞘腰刀拵(北谷菜切)
金装宝剣拵(千代金丸)

国宝『琉球国王尚家関係資料』より「青貝螺鈿鞘腰刀拵(北谷菜切)」

衣装・装飾品

玉冠(付簪)
赤地龍瑞雲嶮山文様繻珍唐衣裳(王が儀式で着る冬の衣装)
その他の衣装 60点
石帯
黄組物帯

国宝『琉球国王尚家関係資料』

食器・調度

金属製食器類 5組
漆器 10組
陶器 3組

国宝『琉球国王尚家関係資料』

国宝の画像が見られます

所蔵館である「那覇市歴史博物館」のデジタルミュージアムで内容の一覧が画像化されています。

この国宝を観るには

那覇市歴史博物館の常設展で、衣装が交代で3点ずつ展示されるほか、春・秋の数週間ずつは「王冠」が展示される。 文書類は企画展でも出展される場合がある。 点数が多いので、他館への貸し出しも比較的多い。

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-10718
【指定番号】00002-00
【種別】歴史資料
【指定名称】琉球国王尚家関係資料
【ふりがな】りゅうきゅうこくおうしょうけかんけいしりょう
【員数】1251点
【時代・年】第二尚氏~明治
【所在地】那覇市歴史博物館
【国宝指定日】2006.06.09
【説明】尚家は琉球王国の王家で、成化六年(一四七〇)に王となった尚円【しょうえん】から明治十二年(一八七九)の琉球処分により最後の王となった一九代尚泰【しょうたい】まで四百余年にわたって王国を統治した。尚思紹【しょうししょう】を初代とする前政権の時代を第一尚氏時代と称するのに対してこれを第二尚氏時代と呼ぶ。同治七年(明治元年〈一八六八〉)には明治政府が成立し、琉球王国の運命を大きく変えることになる。明治五年に琉球王国が廃され琉球藩が置かれると、尚泰は琉球藩王となる。明治八年には琉球処分官松田道之【みちゆき】が来琉。清国との断絶、日本年号の使用等を令達する。明治政府と琉球藩府との間にさまざまな交渉がなされたが、明治十二年四月、明治政府は琉球処分を断行し、尚泰に上京を命じた。この時点で、琉球王国はその歴史を閉じることとなる。 本件は尚家が代々継承してきたもので、工芸品八五点、文書・記録類一一六六点からなる。 工芸品は王家での諸儀式等に用いられたものが主となり、一六世紀から一九世紀に及ぶ。工芸品のなかには王装束があり、琉球国王の王装束では唯一現存するものである。これらは琉球工芸を代表する作品が広くまとまって遺存する唯一の資料であり、琉球文化を理解するうえで貴重な伝来品であるとして、平成十四年に工芸品部門で重要文化財「琉球王尚家伝来品」として指定された。 尚家が継承していた文書・記録類は一八世紀から一九世紀に至るものを中心とする。
 工芸品の附指定であった「御絵図【みえず】帳」や王家の冠婚葬祭に関わる文書、清との冊封【さくほう】関係に関する「冠船【かんせん】関係資料」「進貢【しんこう】・接貢船【せっこうせん】関係資料」、薩摩藩との関係を示す「薩琉関係資料」、琉球王国の内政・財政に関わる資料、ペリーなど琉球に来航した異国船に関わる資料、そして「琉球処分および東京関係資料」等からなり、「琉球処分および東京関係資料」は一紙文書を含め、本件の文書・記録類の中核をなしている資料である。琉球処分という明治政府と琉球王国の葛藤はよく知られているが、処分される側の具体的な舞台裏を語る資料として琉球処分研究上きわめて貴重である。蔡温【さいおん】本「中山世譜【ちゅうざんせいふ】」などの典籍類は異本校訂資料として貴重である。
 明治政府が押収した文書群は、関東大震災で灰燼に帰し、首里の尚家に残されていた文書を含む資料群は第二次大戦で壊滅してしまった現在、東京に取り寄せられ尚家に伝えられた文書・記録類は国家としての琉球王国の実態を探る一級の資料群といえる。尚家の文書・記録類は、尚裕【しょうひろし】氏により平成六年から八年にかけて那覇市に寄贈されたことにより、調査が可能になりその重要性があらためて明らかになった。
 琉球工芸の優品である「琉球王尚家伝来品」と文書・記録類の総体は、琉球王国を立体的に把握する上で比類のない資料群であり、南海に存在した琉球王国とその歴史・文化を語る唯一まとまった資料群としてきわめて高い価値をもつ。

出典:国指定文化財等データベース一部抜
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