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国宝-書跡典籍|四天王寺縁起(根本本・後醍醐天皇宸翰本)[四天王寺/大阪]

国宝DB-書跡・典籍

四天王寺のこと

四天王寺は聖徳太子が建立した7大寺の1つで、物部守屋を討つ時に太子自らが四天王像を彫って戦勝祈願をし、勝利した後に四天王像を安置して四天王寺を建立した。 四天王寺は、四箇院の制度がとられ、寺院本体の敬田院、薬局の施薬院、社会福祉施設の悲田院、病院の療病院で構成された。 後に、聖徳太子を信仰の対象とする「太子信仰」がうまれ、平安時代以降に盛んになると太子信仰の中心地となり、天皇や有力者から民衆まで多くの参詣が多くあった。

歴史の古い四天王寺だが、度重なる自然災害や戦火で創建当初の伽藍は残っておらず、徳川家康寄進の堂宇がいくつか残るが、大半の建造物は第二次世界大戦後に再建されたものである。 伽藍配置は創建当初のままで、南の中門から入ると正面に五重塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ、大陸の古い様式を守るもので、この配置を「四天王寺式」と呼ぶ。

四天王寺 北にある講堂からの眺め 手前から金堂・五重塔・中門

国宝『天王寺縁起(根本本・後醍醐天皇宸翰本)』

四天王寺縁起は、四天王寺の歴史や逸話が書かれたもので、寛弘4年(1007年)に金堂で発見されたとする「根本本」は、聖徳太子の自筆で、手のひらに朱や墨を付けて判のように押す「手印」を押したものだとされた。 実際に根本本が作られたのは、発見時に近い平安時代中期だと考えられる。

後醍醐天皇は、建武2年(1335年)に根本本を書写して自身の手印を押し、これは「後醍醐天皇宸翰本」と呼ばれている。 根本本と後醍醐天皇宸翰本の各1巻が、あわせて1件の国宝として指定されている。

この国宝を観るには

四天王寺には宝物館があり、正月・春・秋には企画展が開かれる。 毎回1件程度の国宝が公開されることが多く、何年かに1度は観ることができる。 展覧会へ出展されることもある。

公開履歴

2021/11/17~2022/1/10 サントリー美術館「聖徳太子-日出づる処の天子」
2021/9/28~10/24 大阪市立美術館「聖徳太子-日出づる処の天子

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-639
【指定番号】00104-00
【種別】書跡典籍
【指定名称】四天王寺縁起〈根本本/後醍醐天皇宸翰本〉
【ふりがな】してんのうじえんぎ
【員数】2巻
【国】平安~南北朝
【所有者】四天王寺
【国宝指定日】1952.03.29

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

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