慶長遣欧使節とは
江戸時代初期の慶長 18年(1613年)に、仙台藩初代藩主の伊達政宗が、家臣の支倉常長(はせくらつねなが)を代表として派遣した使節団。 メキシコを経由して、スペインとローマを訪問し、スペイン国王やローマ法王への謁見を果たしている。 使節の目的は、通称や奥州への布教だといわれるが、出発した年に徳川幕府によってキリスト教禁止令が出ており、目的は果たせずに元和6年(1620年)に帰国する。
国宝『慶長遣欧使節関係資料』
支倉常長が持ち帰った文物47点で、伊達家に献上されたものや支倉家から仙台藩に移されたものなどがあり、現在は仙台市博物館に所蔵されている。
代表的な「ローマ市公民権証書」は、支倉常長が正式にローマの市民権を与えられたもので、同時に貴族にも叙せられている。 2枚の肖像画は、当時のローマ法王「パウロ五世」と支倉常長のもので、常長のものは油絵で日本人を描いた最古の作品である。 支倉常長は渡欧の途中で洗礼を受けており、キリスト教の絵画や、ミサで使用する法衣や十字架なども多く請来している。
国宝指定の内容
ローマ市公民権証書(羊皮紙、1615年11月、支倉常長宛)1通
肖像画 2面
聖画、聖具類 19点
馬具、染織類 25点
この国宝を観るには
所蔵する仙台市博物館には、慶長遣欧使節に関する特別展示室があり、資料が交替で展示される。 特別展として、大規模に展示される機会もある。
館外での公開
2023/4/26~6/18 宮城県美術館「伊達政宗と杜の都・仙台」
2022/10/8~11/27 福岡市博物館「独眼竜 伊達政宗」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-10147
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00001-00
【種別】歴史資料
【指定名称】慶長遣欧使節関係資料
【ふりがな】けいちょうけんおうしせつかんけいしりょう
【員数】47点
【所在地】仙台市博物館
【所有者】仙台市
【国宝指定日】2001.06.22
【説明】本件は、仙台市博物館保管に係る慶長遣欧使節関係資料で、昭和41年6月11日付をもって一括して重要文化財に指定されている。慶長遣欧使節は、慶長年間に仙台城主・伊達政宗<だてまさむね>(1567~1636)がローマ教皇のもとに家臣の支倉常長<はせくらつねなが>(1571~1622)ら一行を派遣した使節のことで、一括して現存するこれらの関係資料は、いずれも慶長遣欧使節に際して将来されたものである。
ローマ市公民権証書は、羊皮紙<ようひし>に著色で上辺および左右に七つの紋章(向かって左上端は支倉常長、その右隣はローマ市の紋章である。)を配し、本文は金泥のラテン語である。
冒頭には支倉常長(フィリップ・フランシスコ支倉六右衛門、Philippo Francisco Faxcvra Rocvyemon)にローマ市の公民権を賦与し、貴族に列する旨の提議が記され、文末には1615年11月20日の年記(Anno ab vrbe condita MMCCCLXVI et ab orbe redempto MDCXV,XII kal〔endae〕Decembris)を有している。ローマ市役所文書の「ローマ市会決議録」等によれば、証書は同行の随員等にも賦与されたことがうかがえるが、現存するのはこの常長宛の1通のみである。
羊皮紙に記された外交文書の事例としては、すでに国宝に指定されているポルトガル国印度副王信書(昭和30年6月22日付国宝指定)が知られるが、この信書とともにローマ市公民権証書は現存稀な羊皮紙に記された発給経緯等の明らかな原本として、貴重である。
肖像画は、支倉常長像とローマ教皇パウロ五世像の2面を現存する。中でも常長像は当地で制作された油彩画で、邦人を像主として描いた最古例としても注目される。画面のほぼ中央部に見える折り畳んだ跡や横折れなどの痕跡は、往時のキリシタン弾圧の歴史的経緯を伝えるものである。
聖画、聖具類は、都合19点を存している。銅版油彩画のロザリオの聖母像一点は、この種の聖画としては整ったものであり、常長像と同様に画面にはキリシタン弾圧の経緯を伝える亀裂が確認される。聖具類には、司祭や侍者がミサで着用するビロード製の祭服、木製と絹糸製の十字架、修道院などで修行に際し、自らの身を打つのに使用された麻製のディスチプリナ、殉教者や聖人の遺物を収める容器である真鍮<しんちゅう>・鼈甲<べっこう>製のレリカリオなど18点を存している。
馬具、染織類は、都合25点を存している。馬具には、木製革張りと木製の鞍、真鍮製と鉄製の鐙<あぶみ>、轡<くつわ>、四方手<しおで>など、染織類にはマントおよびズボン、壁掛などがあり、併せて短剣、印章などがある。
以上のように本件は伝来経緯の明らかなもので、史上に著名な慶長遣欧使節の歴史事象を具体的に証左する関係資料として他に比類するものはなく、わが国のキリシタン研究史および日欧交渉史研究上等にその価値は極めて高い。