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国宝-建築|當麻寺 西塔[奈良]

国宝DB-建築

當麻寺のこと

聖徳太子の弟「麻呂古王(まろこおう)」によって推古天皇20年(612年)に建立し、麻呂古王の孫「当麻国見」が役行者の領地である二上山の東に遷造した。 寺の南は、大和と河内を結ぶ主要道路だった「竹内街道」で、街道沿いに正門があり、東塔・西塔の間を抜けると金堂、その奥に講堂という、薬師寺に似た伽藍配置だった。

平安~鎌倉期以降に浄土信仰が盛んになると、中将姫伝説の残る当麻曼荼羅を信仰する人が増え、曼荼羅を本尊としてまつる「曼荼羅堂(現在の本堂)」が寺の中心となり、東を正面にする配置に変化している。

當麻寺本堂(曼荼羅堂)[奈良]

国宝『西塔』

當麻寺は、古い時代の東塔と西塔が現存する唯一の遺構で、金堂の南側斜面に建ち、2基が少しずれた位置となる。 高さ24~25mとほぼ同じ大きさの塔だが、建築年や様式は異なる。 

奈良時代後期に建てられた東塔よりやや遅れ、平安時代初期に建てられたものだが、水煙の意匠には未敷蓮華が取り入れられ、これは白鳳時代の模様である。 後述の舎利容器の発見もあり、現在の塔は2代目で、當麻寺がこの地に移転した681年頃に初代の西塔が建てられたという説も出ている。

舎利容器の発見

西塔は2016年から修復工事に入っていたが、2018年に心柱の最上部に舎利容器が安置されているのが発見された。 容器は、金・銀・金銅(銅に鍍金)の3つの容器が入れ子になったもので、金は1cm強のごく小型で一番外側の金銅製も直径10cmほどである。 調査の結果、飛鳥時代後期(白鳳期)のものだと判明し、當麻寺創建当時につくられたものだとされる。 

この国宝を観るには

2016年から修復工事にはいっており、近づくことはできないが、境内から観ることはできる。

舎利容器は、奈良国立博物館や葛城市歴史博物館で公開されており、今後も公開の機会があるのではないかと思われる。

特別公開

2022/7/16~8/28の土日祝 東塔・西塔の初層特別開扉

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2780
【指定番号】00067
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】當麻寺西塔
【ふりがな】たいまでらさいとう
【員数】1基
【時代・年】平安前期
【構造・形式】三間三重塔婆、本瓦葺
【所在地】奈良県葛城市當麻
【国宝指定日】1952.03.29

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

鑑賞ログ

2019年6月

梅雨時でしたが、お天気に恵まれて初夏の気持ちのいい参拝日和でした。 門の仁王様にミツバチが住んでいるのには驚きましたが、参拝客もそれほど多くなく、東塔・西塔あたりにはほとんど人がいません。 といっても西塔は工事中で、けっこう遠い位置にバリケードがされているので、遠くから眺めるだけです。 當麻寺は塔頭も入れると奥行きがかなりあるので、お寺を隅々まで観ると塔もいろんな表情を魅せてくれます。 優しくて優美な塔です。

この日は空いていたこともあり、金堂と講堂の係の方がお話を聞かせてくださいました。 少し前にニュースになっていた、西塔の心柱頂上にあったという舎利容器の話や、塔の様式についても伺うことができました。 東塔と西塔の水煙の形が違って、後から建てられたはずの西塔の方が古い様式の水煙だったとか、指さしながら説明してくださいます。 これはお寺ならではで、博物館ではない楽しみです。 舎利塔は「奈良の博物館が持って行っちゃった」(冗談でですよ)おっしゃっていたので、いつか観られたらいいなと思っています。

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