信貴山朝護孫子寺のこと
奈良と大阪の県境山中にある「信貴山朝護孫子寺」は、物部氏との戦いに向かう聖徳太子がこの地で戦勝祈願をすると、寅年・寅の日・寅の刻に毘沙門天が現れて勝利に導かれたことから、毘沙門天を本尊としてまつったと伝わる。
平安時代中期には、中興の祖といわれる僧「命蓮(みょうれん)」が、醍醐天皇の病気平癒を祈願し、それは国宝の縁起絵巻にも描かれている。 戦国時代になると信貴山城が築かれ、松永久秀が陣営としたが、織田信長に攻められて滅びている。
国宝『信貴山縁起』
平安時代後期頃に制作された絵巻物で、色彩や金銀を多用した贅沢なやまと絵で、当時の有力者や高位の人物が関わったと推察される。 信貴山縁起となっているが寺の縁起譚というより、僧命蓮の功徳を伝える説話集で、近しい内容が今昔物語などの説話集にもみられる。
1巻1話で3巻が残っており、1巻の飛倉の巻には詞書がないが、他の説話集にはこの話が載っているので、内容は判明している。 絵面のみの1巻は9m弱、2・3巻は13m弱と14m強の長さがある。 尼公の巻では「異時同図法」という同画面に時空の異なる同人物を描く手法が取られ、延喜加持の巻では右から左への時空の流れに逆らうように護法童子が横切るなど、アニメや漫画のようである。
信貴山縁起のあらすじ
飛倉の巻(山崎長者の巻)
詞書が無いため、絵と他の説話集などからの推察。
信貴山で修業する命蓮は、法力で鉢を山の麓の長者のところまで飛ばして托鉢をすると、長者の家の校倉造りの米蔵を乗せて山に戻ってくる。 追いかけて命蓮のところに来た長者に、蔵の中の米俵を返すと約束すると、米俵は空を飛んで長者の家に戻ったという。
延喜加持の巻
醍醐天皇が重い病で伏せると、信貴山の命蓮のところに病気平癒の加持をするようにと勅使が来る。 命蓮は都に赴かず信貴山で祈祷を行い、その験の証しとして護法童子を帝の元に遣わし、金輪を転じて飛来する護法童子を見た醍醐天皇の病が平癒したという。
尼公の巻
命蓮の故郷の信濃から、姉の尼公が命蓮を尋ねる旅に出て、受戒すると目指した東大寺までやってくる。 大仏殿で弟との再会を祈って夜を過ごすと、大仏のお告げがあり信貴山に向かった尼公は、弟の命蓮と再開することができた。
この国宝を観るには
奈良国立博物館に寄託されており、朝護孫子寺では通常レプリカが展示されている。 毎年秋(10月下旬~11月上中旬頃)の2週間だけ、3巻中の1巻が里帰りで現地で展示される。
奈良国立博物館や他館での特別展に出展されることもある。
公開履歴
朝護孫子寺での毎年秋の里帰り展示以外の公開
2025/4/19~6/15 奈良国立博物館「超・国宝」※展示期間未確認
2023/10/11~12/3 東京国立博物館「やまと絵」
2022年4・8・10月 朝護孫子寺 霊宝館で1巻ずつ特別公開
2017/10/3~11/12 京都国立博物館「国宝展」
2016/4/9~5/22 奈良国立博物館「国宝 信貴山縁起絵巻 -朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝-」
2014/10/15~12/7 東京国立博物館 「日本国宝展」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-26
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00023-00
【種別】絵画
【指定名称】紙本著色信貴山縁起
【員数】3巻
【時代・年】平安時代
【所有者】朝護孫子寺
【国宝指定日】1951.06.09