粉河寺縁起絵巻[粉河寺/和歌山]

粉河寺縁起絵巻[粉河寺/和歌山]

国宝『粉河寺縁起』

和歌山県の古刹「粉河寺」の縁起を描いた長さ20mほどの絵巻物で、2つの物語が1巻に収められている。 作者や制作時期は不明だが、平安末~鎌倉初期に書かれたと推察される。 豊臣秀吉の焼き討ちにあった際に被害を受けており、巻の上下には焼損が、巻頭は焼失している。 

前半は、猟師の大伴孔子古が夜に猟をしていると、光り輝く地を見つけ、その地に庵を建てる。 やがて、童行者が一夜の宿を請い、その例にと孔子古の願いだった仏像安置をかなえるため、七日七夜で頭身の千手観音像を彫り上げる。

後半は、河内の長者の一人娘が長患いをしていたが、童行者が来て千手陀羅尼の祈祷をすると、娘は回復する。 喜んだ長者が宝物を差し出すが、童行者は受け取らず、娘が大切にしていた「提鞘(小刀または箸箱)」と「袴」を受け取ると、粉河の者とだけ告げて去ってしまう。 長者の一家が粉河を訪ね、川に白い水が流れるのをたどり庵を見つけ扉を開けると、千手観音の手には提鞘と袴があり、娘は千手観音に救われたことを知る、というもの。

聖地をたずねて展チラシより

粉河寺のこと

和歌山の北部中央、大阪との県境も近い紀の川市にある「風猛山粉河寺」は、粉河寺縁起によると、宝亀元年(770年)に大伴孔子古(おおとものくじこ)によって創建される。

平安時代にはかなり栄えていたようで、枕草子にも名前がみられ、鎌倉時代の記録によると、寺は4km四方で寺領が4万石以上あったという。 天正13年(1585年)には、豊臣秀吉の戦乱によって伽藍を焼失するが、江戸時代には紀州徳川家の庇護を受け、現在の伽藍を復興する。

この国宝を観るには

京都国立博物館の寄託されているため、所有者の粉河寺で観ることはできない。 特別展などへの出展か、京都国立博物館の名品ギャラリーで観られる場合もある。

公開履歴

2020/7/23~9/13 京都国立博物館「聖地をたずねて
2017/10/3~10/15 京都国立博物館「国宝展」
2014/10/15~11/16 京都国立博物館 名品ギャラリー

文化財指定データ

【台帳・管理ID】201-83
【指定番号】00080-00
【種別】絵画
【指定名称】紙本著色粉河寺縁起
【ふりがな】
【員数】1巻
【時代・年】鎌倉時代
【所有者】粉河寺
【国宝指定日】1953.03.31

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

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