鞍馬寺のこと
寺伝によると、宝亀元年(770年)に 鑑真和上の弟子「鑑禎」が毘沙門天をまつったことに始まり、 延暦15年(796年)には、藤原伊勢人が夢のお告げで観音をまつろうとするが、すでに毘沙門天がまつられており、再び夢のお告げで毘沙門天も観音も元は1つのものだとされ、併せてまつった。
平安時代中期には貴族の参詣が多く、源氏物語・枕草子・更級日記など女房文学にも多く登場する。 平安末期には僧兵を多く抱え、牛若丸(源義経)は子供の頃にこの地で修行したという。 武運を司る毘沙門天を本尊とするため、戦国時代になると武将からの参拝も多くあった。
鞍馬寺は、天台宗や真言宗の寺院だった歴史もあるが、修験道や神仏習合の影響も濃く、現在は「鞍馬弘教」という独立した宗派となっている。 本尊は、毘沙門天・千手観音・護法魔王尊の3尊をあわせて「尊天」とされる。
毘沙門天とは
毘沙門天は、仏教の守護神である四天王でもあり、四天王としてまつられる場合は「多聞天(たもんてん)」と呼ばれる。 単尊としても信仰され、武将の姿で七福神にとしても描かれるので、庶民にも広く信仰された。
単尊として信仰される場合には脇侍が付くこともあり、中国の女神の姿が多い「吉祥天」が妃(または妹)で、童子形で表現される「善膩師童子(ぜんにしどうじ)」は、毘沙門天と吉祥天の子供だとされる。 毘沙門天の使いは虎だとされ、境内には虎像が多い。
国宝『毘沙門天・吉祥天・善膩師童子立像』
毘沙門天は、手のひらに小型の塔を乗せ掲げる姿が多いが、本作は塔は持たずに、もう1つの象徴的な持ち物の「戟」という棒状の武器を持っている。 左手は額にあてて、京の都を見下ろしているようにも見える。
毘沙門天は約170cmと大型だが、吉祥天と善膩師童子は約100cmほどで、毘沙門天の腰あたりまでの大きさ。 毘沙門天と善膩師童子はトチの一木造り、吉祥天は檜の一木造りで作られている。 3躯が1件の国宝として指定され、指定名は「本堂安置」とされるが、現在は霊宝殿に移されている。
この国宝を観るには
鞍馬寺の霊宝殿に安置してあり、毎月曜の休館日と12月~2月の冬期休館以外は拝観することができる。
休館日:月曜日(祝日の時は翌日)
冬期休館:12月上旬~2月末日
開館時間:9:00~16:00
寺外での公開
2020/2/4~3/22 奈良国立博物館「毘沙門天」
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-210
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00049-00
【種別】彫刻
【指定名称】木造毘沙門天及〈吉祥天/善膩師童子〉立像〈/(本堂安置)〉
【ふりがな】もくぞうびしゃもんてんきちじょうてんぜんにしどうじりゅうぞう
【員数】3躯
【国】日本
【時代・年】平安時代
【所有者】鞍馬寺
【国宝指定日】1952.11.22
鑑賞ログ
2019年10月
源氏物語の「北山の寺」は鞍馬山のことだそうですが、バスでかなり山のほうまであがっていきます。 本堂や霊宝殿はそこから更に坂を上るのですが、かなり昔に九十九折れを歩いて上がった時に、暑くて大変だった記憶だけが残っていて、今回は往復ともケーブルカー利用です。
こちらのケーブルカーは、鉄道事業者として免許を取っているので、メンテナンスなどはかなり厳しいんだそうです。 今年は関東地方が台風の被害が大きかったですが、鞍馬の山は2018年の台風の爪痕がまだまだ残っていました。
霊宝殿は、本堂の奥にある階段を更に上ったところで、1階には経塚の遺物が、2階には鞍馬寺の前管長と縁のあった、与謝野晶子・鉄幹夫妻の記念館になっています。 3階が、毘沙門天をはじめとする仏像の展示ですが、毘沙門天がかなりの数あります。
こちらの毘沙門天はポーズが特徴的なのと、目の表現も独特で印象に残ります。 東寺のものが有名な兜跋毘沙門天なんかもあったり、ガラスなしで靴を脱いでお参りできるので、お堂でお参りするのに近くてうれしいです。