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国宝-建築|當麻寺本堂(曼荼羅堂)[奈良]

国宝DB-建築

當麻寺のこと

聖徳太子の弟「麻呂古王(まろこおう)」によって推古天皇20年(612年)に建立し、麻呂古王の孫「当麻国見」が役行者の領地である二上山の東に遷造した。 寺の南は、大和と河内を結ぶ主要道路だった「竹内街道」で、街道沿いに正門があり、東塔・西塔の間を抜けると金堂、その奥に講堂という、薬師寺に似た伽藍配置だった。

平安~鎌倉期以降に浄土信仰が盛んになると、中将姫伝説の残る当麻曼荼羅を信仰する人が増え、曼荼羅を本尊としてまつる「曼荼羅堂(現在の本堂)」が寺の中心となり、東を正面にする配置に変化している。

當麻寺本堂(曼荼羅堂)[奈良]

国宝『本堂(曼荼羅堂)』

内陣部分は奈良~平安初期に作られており、平安後期の永暦2年(1161年)に外陣を足して現在の形になっている。 本尊は国宝の『綴織当麻曼荼羅図』で、同じく国宝に指定されている巨大な『当麻曼荼羅厨子』が中心に据えられている。 曼荼羅は損傷が激しく、現在は摸本の「文亀本」が掛けられている。

正面7間(柱の間が7つ)で、中心の5間は桟唐戸、両端は引戸になっている。 奥は6間で内部の左右は細かく仕切られ参籠できるようになっており、弘法大師空海が21日間籠ったという「弘法大師参籠の間」が残る。 なだらかな屋根は、本瓦葺の寄棟造り。

當麻寺本堂(曼荼羅堂)[奈良]
當麻寺本堂(曼荼羅堂)[奈良]

この国宝を観るには

本堂(曼荼羅堂)・金堂・講堂の3堂が公開されている。
9:00~17:00に曼荼羅堂で受付をし、順に回って拝観する。
※正月と4月中旬の練供養会式には変更あり

當麻寺の国宝

東塔
西塔
弥勒仏坐像[金堂]
梵鐘
綴織当麻曼荼羅図
当麻曼荼羅厨子
倶利伽羅竜蒔絵経箱(奥院)

ご朱印

當麻寺 ご朱印

文化財指定データ

【台帳・管理ID】102-2781
【指定番号】00212
【種別】近世以前/寺院
【指定名称】當麻寺本堂(曼荼羅堂)
【ふりがな】たいまでらほんどう(まんだらどう)
【員数】1棟
【時代・年】永暦2年(1161年)
【構造・形式】桁行七間、梁間六間、一重、寄棟造、本瓦葺、閼伽棚を含む
【所在地】奈良県葛城市當麻
【国宝指定日】1952.03.29

出典:国指定文化財等データベース一部抜粋

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