當麻寺のこと
聖徳太子の弟「麻呂古王(まろこおう)」によって推古天皇20年(612年)に建立され、麻呂古王の孫「当麻国見」が役行者の領地である二上山の東に遷造した。 寺の南は、大和と河内を結ぶ主要道路だった「竹内街道」で、街道沿いに正門があり、東塔・西塔の間を抜けると金堂、その奥に講堂という、薬師寺に似た伽藍配置だった。
平安~鎌倉期以降に浄土信仰が盛んになると、中将姫伝説の残る『当麻曼荼羅』を信仰する人が増え、曼荼羅を本尊としてまつる『曼荼羅堂』(現在の本堂)が寺の中心となり、東を正面にする配置に変化している。
国宝『塑造弥勒仏坐像』
平安時代以降は、曼荼羅堂が當麻寺の本堂のようになり、當麻曼陀羅が本尊とされたが、本来の本尊は金堂の弥勒仏であった。 弥勒菩薩は、56億7千万年後に釈迦に次いで悟りを開くといわれ、この像は菩薩形ではなく、悟りを開いた後の如来の姿で表される。
飛鳥時代に作られたと推定される2mを超える坐像で、塑像(木芯に粘土を盛って作る)としては日本最古のもの。 安置される金堂は、平安時代に兵火にあい焼失しているが、本像は残り金堂が再建されている。 一緒に安置される四天王像は、鎌倉時代に後補された多聞天を除き、日本最古の乾漆像で、渋いルックスから人気がある。
この国宝を観るには
當麻寺は、伽藍内は自由だが、本堂・金堂・講堂の参拝には料金がかかる。 弥勒仏は金堂に安置されているため、拝観時間内はいつでも参拝可能
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-205
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00044-00
【種別】彫刻
【指定名称】塑造弥勒仏坐像(金堂安置)
【ふりがな】そぞうみろくぶつざぞう
【員数】1躯
【国】日本
【時代・年】飛鳥時代
【国宝指定日】1952.03.29