国宝・法隆寺展
聖徳太子が亡くなったのは、推古天皇30年(622年)の2月22日(旧暦)で、昨年2021年は数え年で50年ごとに行う遠忌(おんき)の年でした。 法隆寺や四天王寺など、太子ゆかりの寺院で法要が執り行われたほか、2つの国立博物館をはじめ各地の美術館博物館で記念展覧会が開かれました。 特に、年に1度数日間しか御開帳されず、しかもその時はお供え物に隠れてよく見えないという噂の国宝『聖徳太子像・侍者像』の出開帳は話題になったものです。 また、法隆寺東院に隣接する中宮寺では、国宝『菩薩半跏像』を安置する本堂の改修工事に入っていて、ご本尊とその他の寺宝が「中宮寺展」といしていくつかの美術館を巡回していました。
今回の北海道近代美術館「国宝・法隆寺展」は、北海道新聞の創刊80周年と、聖徳太子1400年御遠忌を記念したもので、法隆寺展と中宮寺展のいいとこどりの様な展覧会になっています。 上に書いた『聖徳太子像・侍者像』や、アルカイックスマイルが有名な『菩薩半跏像』、普段は法隆寺の大宝蔵院に安置されている『夢違観音』と、超有名な国宝仏像が並びますし、公開が少ない布製品の国宝『天寿国繡帳』が出品されるのも貴重だと思います。 前期のみ公開される『天寿国繡帳』以外の国宝は、全て期間を通して公開されるようです。 国宝以外でも、太子の棺の一部だと伝わる「夾紵棺断片」や、聖徳太子の姿といわれて誰もがイメージする絵画「聖徳太子二王子像」の江戸時代の摸本なども公開されます。
この展覧会で観られる国宝
聖徳太子像・侍者像[法隆寺聖霊院/奈良]
法隆寺聖霊院の秘仏で、年に数日のご開帳日には高く積まれるお供え物に隠れてしまい、その前夜のお逮夜は、暗い厨子の中でほとんど見えないという超レアな聖徳太子像です。 脇侍?は太子ゆかりの4名で、皇子の山背王、弟の殖栗王と卒末呂王、仏教の師といわれる恵慈法師も一緒に出開帳となります。 昨年、国立博物館で公開されたのが、寺外では27年ぶりでしたので、一生に何度観られるかというレベルの貴重な国宝像です。 今回の展覧会のチラシやポスターになっているのが聖徳太子像で、2重の冠には、太子が守護神とした毘沙門天像が乗っていますので、よく見てみて下さい。
夢違観音[法隆寺/奈良]
現在は、法隆寺の常設宝物館「大宝蔵院」に収蔵されている1m弱の銅造仏で、飛鳥時代らしいおおらかな雰囲気の観音様です。 お祈りすると悪夢を吉夢にかえて下さるそうなので、良い夢にあやかりたい方はお参りしてみましょう。
菩薩半跏像(伝如意輪観音)[中宮寺/奈良]
中宮寺は飛鳥時代の創建で、男性の僧がいる法隆寺に対して、尼僧のいるのが中宮寺だったようで、江戸時代になると内親王や三宅の姫君が門跡を務める尼門跡寺院として、高い格式を誇りました。 尼寺のご本尊らしく、優しい柔らかい雰囲気の菩薩像は、飛鳥時代に作られた木造仏です。 写真だと女性のような雰囲気を感じますが、近くで観ると力強さも感じる、美しい仏像です。
上宮聖徳法王帝説[知恩院/京都]
聖徳太子は古くから人気があり、宗派を超えて信仰の対象とされてきました。 法然上人を開祖とする浄土宗の総本山「知恩院」が所有する国宝『上宮聖徳法王帝説』は、聖徳太子の伝記や系図をまとめたもので、平安時代頃に成立しました。 江戸時代頃までは法隆寺が所蔵していたようです。
金堂天蓋[法隆寺/奈良]
法隆寺の金堂は3室に分かれ、釈迦如・阿弥陀如来・薬師如来が安置されています。 その3室の台座と同じほどの大きさの四角い天蓋が吊るされていて、2020年9月30日に国宝に指定されたばかりです。 天蓋は現在も金堂に安置されたままですが、装飾する部品の一部「鳳凰」「飾金具」「天人」の彫刻が公開されるようです。
天寿国繡帳[中宮寺/奈良]
9/3~10/2のみ公開
いわゆる「あの世」は、阿弥陀如来の西方極楽浄土や薬師如来の東方瑠璃光浄土などがありますが、天寿国というのは聖徳太子が往生した浄土だと言われます。 ただし、経典にはこの記載がみられず、どの浄土にあたるかは諸説あるようです。 太子の妃の1人、橘大郎女が推古天皇に上申して宮中で製作されたもので、甲羅に4文字が刺繍された亀をつなげて読むと、銘文になっているのだそうです。
展覧会 概要
日程:2022/9/3~10/30
休館:月曜日(祝日は開館し、翌火曜日が休館)
時間:9:30~17:00(入館は30分前まで)
料金:一般¥1,800、大高生¥1,000、中学生¥700