国宝『阿弥陀如来・両脇侍坐像(棲霞寺旧本尊)』
中尊は丈六の阿弥陀如来で、源融が生前に発願したものだが果たせず、融の1周忌の寛平8年(896年)に子孫が完成させたといわれる。 体躯は平安初期らしい重厚感があるが、顔立ちは非常にすっきりしており、生前の融を写したものと言われる。 手は阿弥陀定印だが、指を輪のようにする形。
中尊よりやや小さい脇侍は観音菩薩・勢至菩薩で、阿弥陀如来の脇侍としては珍しい大日如来のような宝冠をかぶっている。 結ぶ印も密教風で、阿弥陀三尊像ではあまりられない形を結ぶ。
棲霞寺と源融と源氏物語
現在は清凉寺(嵯峨釈迦堂)境内の一部となっている阿弥陀堂は、嵯峨天皇の皇子で源氏に下った源融(みなもとのとおる)が造営した別荘 「棲霞観(せいかかん)」 が元で、源融の一周忌に寺に改められたが、その棲霞寺の本尊が国宝の阿弥陀三尊像。
源融は臣下に下ったが従一位左大臣(正一位追贈)までになり、現在の渉成園がある場所に六条河原院を造り住んだので「河原左大臣」とも呼ばれ、源氏物語の光源氏のモデルの1人ともいわれている。 源氏物語の中でも光源氏が嵯峨に御堂を建立するが、この棲霞寺がその観堂に推定されている。
この国宝を観るには
現在は霊宝館に安置されており、春(4・5月)と秋(10・11月)の霊宝館公開時に観ることができる。 霊宝館の公開時期は、毎月8日しか御開帳されない本堂本尊の国宝『釈迦如来立像』が開帳される。 阿弥陀三尊像がかつて安置されていた阿弥陀堂は、開門時間内ならいつでも参拝できる。
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-00281
出典:国指定文化財等データベース一部抜粋
【指定番号】00118-00
【指定名称】木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(棲霞寺旧本尊)
【ふりがな】もくぞうあみだにょらいおよびりょうきょうざぞう
【員数】3躯
【国・時代】日本・平安時代
【所在地】清凉寺
【国宝指定日】1991.06.21
鑑賞ログ
2018年11月
秋の霊宝館公開
本堂の釈迦如来像も公開される秋の特別公開期間に清凉寺を再訪。 あの光源氏の「嵯峨の御堂」のモデルになった阿弥陀堂に安置されていた阿弥陀三尊像ということで、源氏物語の「松風」巻などを読み返してみます。 大覚寺の南にあって、明石の上の住まいの山荘はもっと川が近いと記されているので、こちらのお堂だとぴったり合いますね。 現在は隣の霊宝館に安置されていますが、これをお堂の中で観られたら本当に素晴らしいでしょうね。 お像は、平安初期ののっぺりとした感じでもなく、平等院の定朝様のような夢見る風でもなく、おおどかでどっしりしていて大変魅力的な仏像です。 霊宝館の入り口すぐにありますが、板の間でスリッパ履きなので、あまりゆっくり眺めることができません。 これはじっくりと畳の正面にすわってゆっくり時間を過ごせるといいのですが。