醍醐寺 国宝展
京都市の南東部、山科と宇治の中間あたりに位置する醍醐寺は、空海の孫弟子「聖宝(しょうぼう)」が笠取山に准胝観音と如意輪観音をまつったことに始まり、醍醐天皇から深い帰依を受け、その皇子らも遺志を継いで伽藍が整備されていきました。 その時々の有力者からの庇護を受けて、特に豊臣秀吉が醍醐の花見をした時には、現在も残る多くの建造物が整備されています。 平成6年(1994年)には「古都京都の文化財」として世界遺産に認定されました。
都の中心から離れているからか、数多くの文化財が残っていて、6件の建造物と、15件の文書や美術品が国宝に指定されています。 今回の展覧会、チラシでは国宝14件となっていましたが、1つの国宝指定を1件と数えるなら7件14点の国宝という事になるでしょうか。 通期で公開される国宝は、春秋に開館する醍醐寺の霊宝館で観ることができますが、前期後期で展示替えのある仏画などは公開が少なく貴重です。
この展覧会で観られる国宝
山の寺 醍醐寺
密教修法のセンター
桃山文化の担い手
通期
薬師如来(の光背小七仏4躯)
醍醐天皇の勅願によって平安時代に作られた薬師三尊像で、上醍醐の国宝『薬師堂』に安置されていましたが、現在は保存管理のために山を下りて麓の霊宝館にいらっしゃいます。 中尊の薬師如来は1.8mと大きな座像なのですが、今回公開されるのは「光背小七仏薬師像4躯」となっていて、仏像本体ではなく光背に付けられている小さい仏像4躯のようです。
五重塔初重壁画
天暦5年(951年)に下醍醐に建てられた国宝『五重塔』の内部を飾る障壁画が、絵画として国宝に指定されています。 中には両界曼荼羅図と真言八祖像が描かれていて、両界曼荼羅図は心柱覆板絵4点と羽目板絵が7点、真言八祖像は羽目板絵が7点あります。 その他に両界曼荼羅図の旧四天柱絵2点と羽目板絵断片4点が附として指定されています。
今回公開されるのは両界曼荼羅図の「羽目板絵断片」となっているので、国宝本体ではなく附のようで、前後期で1面ずつが公開されます。
醍醐寺文書聖教
醍醐寺に伝わる69378点もの文書類が一括で国宝に指定されたもので、内容は経典から書状、儀式の絵図や高僧像など多岐にわたります。 今回は、前期に5点、後期に3点が公開されます。
前期「醍醐寺縁起」「三国祖師影」「秀吉不例北斗法次第」「山上御影堂理趣三昧表白」「竪義草紙」
後期「理性院祖師像」「竪義法則䮒番論議」「義演准后立願文」
前期(6/15~7/21)
文殊渡海図
鎌倉時代に描かれた仏画で、色が白く少年のような姿の文殊菩薩がとても上品です。 密教の祈祷では仏画を本尊とすることが多く、文殊菩薩は髪にいくつの髻を結うかで利益が異なり、この絵の五髻文殊は敬愛の修法なんだそうです。
絵因果経発見由来記
こちらは国宝『絵因果経』の附か何かだと思うのですが、文化庁の国指定文化財データベースにも国宝事典にも載っていない、謎の1点です。 チラシには写真付きで簡単な説明があり、それによると “長く所在がわからなかった絵因果経が醍醐寺で発見された経緯の記録書に横山大観による下絵が入った国宝です。” とあり、本邦初公開となっています。 作品リストには明治28年(1895年)とあるので、今回医は由来記のみで、絵因果経は公開されないようです。
後期(7/24~8/25)
理源大師筆処分状
醍醐寺を開いた理源大師聖宝の直筆文書で、醍醐寺の運営をまかせていた老僧が評判がよくなく、別の弟子に今後を託すことを記したものです。 聖宝の怒りがにじみ出てくるような、迫力のある文書です。
閻魔天像
十二天のメンバーにも入る閻魔天は、インド神話のヤマ神を仏教に取り入れたもので、閻魔大王と同じですが、密教では穏やかな菩薩形をしています。 宝冠に瓔珞を付けて白い水牛にまたがる高貴な雰囲気ですが、手に持つ人頭杖(壇拏幢)に閻魔大王みを感じます。
展覧会 概要
日程:2024/6/15~8/25
休館:月曜日、7/23(7/15と8/12は祝日なので開館)
時間:10:00~17:00(入館は30分前まで)
料金:一般¥1,800、高大生¥1,100、小中生¥500
大阪中之島美術館 公式サイト