国宝『薬師如来坐像』
白河天皇の皇子で、仁和寺の3世門跡となった「覚行法親王」の頃に本坊のあった「北院」の本尊で、その前に本尊だった仏像が焼失したため、康和5年(1103年)に覚行法親王の発願で制作された。 現在は、御殿の黒書院や寝殿の北にある「霊明殿」に安置されている。
定朝の弟子で円派の祖「長勢」が営んだ「三条仏所」の仏師で、長勢の子(弟子説もあり)の「円勢」と、その子の「長円」によって制作された。 日本製の檀像としては珍しく本物の白檀を用いており、中尊像の像高が11cmほどの小像である。
薬師如来は、右手を正面に向ける施無畏印、左手には薬壺を乗せ、衣には繊細な截金模様が入っている。 光背は、頭部の後ろの円相には7仏を、体部後ろの角型には脇侍の日光・月光菩薩を彫りだしている。 方形の台座には、4面に3躯ずつ、十二神将が彫られている。
檀像とは
白檀(びゃくだん)や栴檀(せんだん)などの香木を用いて作った像で、その香気を閉じ込めないために彩色などはせずに、素木のまま仕上げている。 日本に仏教が伝わる前からインドや中国で制作されており、仏教伝来とともに日本にもたらされ珍重された。 日本では香木の入手が難しいため、榧(かや)や桜などを、檀像風に仕上げたものが制作された。
この国宝を観るには
秘仏で一般には公開されていない。 ごくまれに特別公開や博物館への出展があるので、機会があればぜひ観ておきたい。
公開履歴
2020/9/19~27 仁和寺霊宝館
2020/7/21~26 仁和寺霊宝館
2020/3/20~29 仁和寺霊宝館
2017/10/31~11/26 京都国立博物館「国宝展」
仁和寺の国宝
内部は特別公開などの時のみだが、外からは拝観時間内ならいつでも観ることができる。
以下の国宝は、春夏秋の霊宝館開館期間に交互で公開されるほか、博物館への出展等でしか観ることができない。
阿弥陀如来・両脇侍像
宝相華蒔絵宝珠箱
孔雀明王像
後嵯峨天皇宸翰御消息
高倉天皇宸翰御消息
医心方
黄帝内経 太素・明堂
御室相承記
三十帖冊子・宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱
新修本草
文化財指定データ
【台帳・管理ID】201-124
出典:国指定文化財等データベース一部抜
【指定番号】00117-00
【種別】彫刻
【指定名称】木造薬師如来坐像〈円勢、長円作/(北院旧本尊)〉
【ふりがな】もくぞうやくしにょらいざぞう
【員数】1躯
【時代・年】1103年
【作者】円勢、長円
【所有者】仁和寺
【国宝指定日】1990.06.29
【説明】白河天皇の皇子覚行【かくぎよう】法親王が自坊北院の本尊として造立した薬師如来像で、仏師法印円勢【えんせい】と長円【ちようえん】が康和五年(一一〇三)の四月一日から五月四日まで日参し、製作に当たったことが知られる。円勢、長円は、都の仏師の第一人者としての父子二代にわたる華やかな活躍が文献史料に伝えられているが、本像はその作風と技量とを示す唯一の遺品であり、光背台座に至るまで保存状態のきわめて良好な平安後期檀像の典型としても貴重である。
像は六寸の如来坐像で、左手の掌には薬壺を載せ、右手は掌を前にして立てる施無畏【せむい】の印とし、衲衣【のうえ】は左肩を覆い、右肩にわずかにかかる。光背は八葉【はちよう】蓮華を裏面にも表す円相の頭光と身光部にあたる方形の後屏から成り、本躰と同形の薬師如来像七躯を円相光の周縁部に、両脇侍の形をとる日光・月光菩薩立像を後屏の左右に配す。台座は本躰の衲衣が上部に懸かる宣字形座で、神将像十二躯を向きや装い、持物に応じた所作に変化をもたせ、各面の腰部に三躯ずつ表す。
本躰は懸裳の部分と白毫【びやくごう】、薬壺を除き一材から彫出して内刳りを像底より躰部および膝裏に施し、光背は頭光の円相部と後屏、台座は上框各段、腰部各面、請座、下框上段を含む反花に分け、それぞれ板材から彫出する。いずれも白檀【びやくだん】材を用いて素地仕上げとし、光背台座の小像を含めて頭髪に白群、眉目と髭鬚に墨(本躰のみ白目に白)、唇に朱の彩色を加え、本躰の衲衣には、表に菊花丸文を散らす七宝繋【しつぼうつなぎ】文、裏に立涌【たてわく】文と縁取りの花唐草文の切金【きりかね】文様を施す。さらに光背台座は、各区、蓮弁等に宝相華・菱形花・対葉・連珠文を刻出し、縁取りと衣文や葉脈に切金線を置き、地文様に霰【あられ】散らし、線刻を併用した亀甲、斜格子などの切金文様をあしらう。頭光の周縁をめぐる火焔と柄の中央部、台座の下框下段は後補である。