東福寺のこと
京都市東山区、新幹線の線路の南、鴨川の東側に位置する「東福寺(とうふくじ)」は、臨済宗東福寺派の大本山で、京都五山の第4位です。 鎌倉時代の嘉禎2年(1236年)に、摂政の九条道家が円爾弁円(えんにべんえん、諡号は聖一国師)を開山に迎えて創建され、奈良で興隆を誇った「東大寺」と「興福寺」から一文字ずつ取り「東福寺」と名付けられました。 創建当初は天台・真言・禅の兼学の寺でしたが、鎌倉~南北朝時代に数度の火災にあい、再建後には禅宗の寺院になりました。 その後もその時々の有力者の庇護を受けて、明治まで数多くの伽藍が残っていたようですが、明治14年に火災で堂宇の多くを焼失しますが、焼失を免れた『三門』は国宝に指定されています。 現在でも塔頭が25寺もあり、その内の1つ「龍吟庵」には最古の方丈建築といわれる国宝『方丈』があります。
特別展「東福寺」
2022年の秋に大きな話題になった、国宝すべて見せます展以来の特別展は、京都の禅宗の大寺院「東福寺」がテーマです。
東福寺といえば京都でも指折りの紅葉の名所ですが、桜の木はほとんど見かけません。 というのも、明兆という僧が涅槃図を見事に描いたので、足利義持から褒美を受けることになりますが、明兆は皆が浮かれて修行に身が入らないからという理由で、境内の桜を切らせてしまったからだそうです。 この展覧会では、その明兆が描いた五百羅漢図が公開されます。
東福寺には建物以外では5件の国宝があり、今回は全件が公開されます。 『禅院額字』のように、寄託先の博物館で比較的よく公開されるものもあれば、『義楚六帖』のように公開が珍しいものもあるので、国宝制覇を目指す方はぜひ東京か京都どちらかでご鑑賞ください。
この展覧会で観られる国宝
宋版太平御覧[東福寺/京都]
日本の平安中期~鎌倉時代にあたる中国の宋時代には、印刷技術が大きく発展し、美しい木版の書物が多く出版されました。 入宋僧や貿易によって日本にももたらされていて、この太平御覧は北宋の皇帝が命じて編纂された百科事典のようなものです。 太平御覧は全1,000巻なのですが、東福寺に現存するのは103冊で、その中から前期後期で目録1冊と通常部分1冊ずつが公開されます。
宋刊本義楚六帖[東福寺/京都]
こちらも南宋時代に発行されたもので、仏教に関する語句を区分して多くの典籍から引用を行う「類書」の形式の仏教辞典です。 今回は前後期で2冊ずつが公開されるようです。
禅院額字并牌字[東福寺/京都]
漢字が並んでどんなものか分かりづらいですが、「禅院=禅宗の寺院」に掲げられる「額字・牌字=堂宇に掲げられる看板やプレートのようなもの」です。 大人数が起居する大寺院では、「方丈」「浴司」などの建物名や、「書記」「維那」など役職名を掲げたようで、これはその書のお手本です。 1枚1枚がとても大きく、近くで観るととても迫力があるものです。 東京・京都・奈良の国立博物館に別れて寄託されていて、公開が多いものと少ないものがありますが、今回は公開期間をずらして全19点すべてが公開されます。 附の「無準師範染筆額字目録」は3/7~3/27のみの公開です。
無準師範像[東福寺/京都]
この展覧会の第1章は「東福寺の創建と円爾」というテーマで、東福寺開山の「円爾」が宋に渡って参禅した師の「無準師範」に関するものが多く出展されます。 禅宗では、弟子が悟りを開いて師の教えを継ぐことの証として、自身の肖像画や書などを与えました。 この肖像画は、円爾が無準師範から与えられたもので、絵の上部には無準師範の直筆で賛(文字)が書かれています。 3/7~4/2のみの公開です。
無準師範墨蹟(円爾印可状)[東福寺/京都]
こちらも無準師範から円爾に対して、悟りを開き法を継いだ証=「印可」として与えられたものです。 禅僧の書は「墨蹟」と呼ばれて、侘茶が流行すると茶席の掛物として掛軸に仕立てられて珍重されたようです。 この印可状は、嘉熙元年(1237年)10月の日付が入っています。 こちらは後期の4/4~5/7のみ公開されます。
無準師範墨蹟(板渡しの墨蹟)[東京国立博物館]
今回公開される国宝で、唯一これだけが東福寺の所蔵品ではありません。 円爾が宋から帰国して博多に承天寺を開いた時に、無準師範が住持をつとめた万寿寺が火災に遭ったと聞き、再興のために板1,000枚を寄進しました。 その寄進に対して無準師範が書いた礼状なので「板渡しの墨蹟」と呼ばれています。 前期3/7~4/2のみの公開です。
展覧会 概要
期間:2023/3/7~5/7
休館:月曜日(3/27と5/1は開館)
時間:9:30~17:00(入館は30分前まで)
料金:一般¥2,100、大学生¥1,300、高校生¥900