宇治上神社 本殿[京都]
宇治上神社のこと 宇治川を挟んで平等院の反対岸には、「宇治神社」と「宇治上神社(うじがみじんじゃ)」が並び、二社あわせて「宇治明神」や「離宮社」と呼ばれた時代もある。 創建の詳細は不明だが、対岸に平等 […]
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宇治上神社のこと 宇治川を挟んで平等院の反対岸には、「宇治神社」と「宇治上神社(うじがみじんじゃ)」が並び、二社あわせて「宇治明神」や「離宮社」と呼ばれた時代もある。 創建の詳細は不明だが、対岸に平等 […]
国宝『圜悟克勤墨蹟』流れ圜悟 墨蹟は、狭義では禅僧の書のことを指し、これは中国・宋時代の僧「圜悟克勤(えんごこくごん)」が弟子に与えた印可状の前半部分。 圜悟克勤は、絵画の名作を数多く残す北宋の徽宗皇 […]
浄瑠璃寺のこと 京都と奈良の県境「当尾(とうの)」と呼ばれるエリアで奈良にほど近く、聖武天皇の勅命で行基が開いたと伝わる、真言律宗の寺院。 本堂には平安時代に流行した九体阿弥陀をまつるので「九体寺」の […]
国宝『梵鐘』 鐘に「戊戌年」と彫られており、造年がはっきりしている日本最古の梵鐘である。 鐘の銘は「戊戌年四月十三日 壬寅収糟屋評造春米連広国鋳鐘」と入り、戊戌年は文武天皇2年(698年)で、舂米連広 […]
圓成寺(円成寺)のこと 奈良市街から東に10km弱、柳生の手前に位置し、忍辱山(にんにくせん)圓成寺(円成寺=えんじょうじ)という真言宗御室派の寺院。寺伝によると、聖武上皇と孝謙天皇による勅願寺で、鑑 […]
国宝『黒漆七絃琴』 唐時代の中国で制作された七弦琴(しちげんきん)で、現在一般的に琴(こと)と呼ばれる13弦の箏とは異なり、弦は7本のみで琴柱は使用しない。 弦を指で押さえて音色の調整をするために、上 […]
国宝『法隆寺 五重塔』 木像の五重塔としては最古のもので、 屋根は軒が深く、上に行くほど小さくなり、1番上の5層は1番下の1層の約半分ほどの長さになっている。 1層の下には、風雨や汚れ除けの「裳階」と […]
般若寺のこと 飛鳥時代の創建で、奈良遷都後に聖武天皇が鬼門守護のため「大般若経」を埋めたため「般若寺」の寺名が付いたといわれる。 奈良~平安は千人もの学僧のいる大寺院だったが、平家の焼き討ちにあい伽藍 […]
九体阿弥陀のこと 平安時代後期から、阿弥陀を念ずると極楽浄土へ迎えられるという浄土信仰が流行した。 その人の行いによって上品上生~下品下生まで9ランクに分けられ、“お迎え”である来迎も九品によって内容 […]
石山寺のこと 石山寺は、奈良東大寺の開基で大僧正にもなった「良弁」が、聖武天皇の発願により如意輪観音をまつったことに始まる。 醍醐寺を開いた聖宝が座主だったこともあり、その頃から現在に至るまで真言宗の […]
国宝『龍吟庵 方丈』 東福寺の三代目の住持で、南禅寺の開山(初代住持)もつとめた「大明国師(だいみんこくし)」の住居跡だが、現在の建物は当時の建物ではない。 境内からは骨蔵器に納められた遺骨も見つかっ […]
仁和寺のこと 仁和寺は、光孝天皇が「西山御願寺」を発願し、崩御後に子の宇多天皇の治世である仁和4年(888年)に完成したので、元号から「仁和寺」となった。 譲位した宇多法皇が入山し、以降も皇族が住職を […]
唐招提寺のこと 唐招提寺は、鑑真和上が朝廷から新田部親王の邸宅跡地を賜り建てた寺院で、講堂などは朝廷の建物を移築したものである。 新田部親王邸の頃の遺構もいくつかあり、経蔵や瓦の一部などは当時のものだ […]
王勃集とは 「王勃」は中国・唐時代の詩人で、王勃集は王勃の詩文集。 若くから頭角を現し「初唐の四傑」の1人にも数えられるほどだったが、27歳の若さで水死している。 国宝『王勃集』 この王勃集は興福寺に […]