九州国立博物館「最澄と天台宗のすべて」
今年は、日本に天台宗を伝えた伝教大師最澄が弘仁13年(822年)に亡くなってから1200年で、仏教の世界ではこういった節目を「大遠忌」と呼んで特別法要などを行います。 昨年秋に東京で開催され、九州・京都に巡回する「最澄と天台宗のすべて」も大遠忌を記念した特別展です。
東京展では国宝『天台高僧像』全10幅が同時に公開されたり、京都展では袈裟などの染織類が公開されたり、それぞれに特色があるようです。 九州展では、福岡を経由して中国に向かった遣唐使船に関する資料や、西日本に展開した天台宗の仏像や仏教美術が特徴的でしょうか。 現地の三井寺でも年に1度しか御開帳されない、円珍の木像「中尊大師」も、九州展だけで公開されるようです。
3か所の展覧会でも出展に差がありますが、更に前後期でかなりの数の展示替えがあります。 例えば最澄の直筆文書は、前期に『伝教大師将来目録』と『天台法華宗年分縁起』、後期には『羯磨金剛目録』と『弘法大師請来目録』の2点ずつが公開されるので、前後期コンプしたくなりますね。
この展覧会で観られる国宝
通期
入唐求法巡礼行記(兼胤筆)
最澄の弟子で、後に天台座主3世になる「慈覚大師円仁」が、最後の遣唐使として入唐した時の記録や日記です。 仏教に関することだけでなく、その当時の唐の様子や遣唐使についても書かれ歴史資料としても名高く、この国宝は鎌倉時代に書写された現存最古の写本です。
智証大師坐像(中尊大師)[園城寺(三井寺)/滋賀]
東京展では、この像の元になった御骨大師が出展しましたが、九州展では三井寺の唐院大師堂の真ん中に安置されている通称「中尊大師」が出開帳されます。 特別公開以外では、円珍の忌日10/29にしか拝観することができません。
円珍関係文書 から「大宰府公験」[東京国立博物館]
公験は、入唐や唐での移動に必要とされた証明書で、現代のパスポートのようなものです。 この大宰府公験は、円珍が入唐する時に太宰府で発行されたもので、太宰府の印が押してあります。
金銀鍍宝相華文経箱(横川出土)[延暦寺/滋賀]
比叡山延暦寺の横川(よかわ)で出土した経箱で、金銀メッキで宝相華模様の装飾をした金属製の経箱です。 平安後期の僧が、かつて円仁が書写して塔に納めていた法華経を入れて埋納したのだそうで、藤原道長の娘で一条天皇の中宮になった彰子も結縁して写経を納めています。
金銅藤原道長経筒[金峯神社/奈良]
吉野の金峯山経塚から発見された金銅製の経筒で、表面に埋納の銘文が刻まれていたので、藤原道長が41歳の寛弘4年(1007年)に埋納したものだと判明しています。 これは、道長の生涯を記録した「御堂関白記」の記録とも一致するそうです
扇面法華経冊子[東京国立博物館]
扇形の装飾料紙に、やまと絵で貴人や庶民の姿を描き、そこに法華経を写経しています。 鳥羽上皇の皇后「高陽院」が納めたと伝わるとても華やかな装飾経で、経典ですが絵画として国宝に指定されています。
釈迦金棺出現図[京都国立博物館]
釈迦が入滅(亡くなる時)の様子を絵画化した「涅槃図」の一種です。 天上から釈迦の涅槃に駆け付けた母の摩耶夫人が、入滅に間に合わなかったことを嘆いていると、釈迦が神通力で起き上がって説法をした姿を描いたものです。 なんだかキリスト教の逸話のようですね。
金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図[中尊寺大長寿院/岩手]
長い名前で正体が分かりづらいですが、「金光明最勝王経」を「金字」で「宝塔」の形に書いた「曼荼羅図」なんです。 金色の小さい字で十重の塔を形作っていて、装飾経の一種ですが絵画として国宝に指定されています。
通期(期間内で展示替えあり)
聖徳太子・天台高僧像[一乗寺/兵庫]
天台宗の高僧を描いた大型の掛軸で、平安時代らしく貴族的な穏やかな表情をしています。 前期は中国の僧「天台大師 智顗(ちぎ)」、後期は中国の僧「湛然(たんねん)」が公開されます。
智証大師関係文書典籍[園城寺(三井寺)/滋賀]
天台宗の5代座主になった智証大師円珍に関する文章や記録で、九州展では入唐に関する古文書類が公開されます。 前期は「福州温州台州求法目録」と「唐人送別詩幷尺牘」が、後期には「越州都督府過所・尚書省司門過所」と「国清寺求法目録」を観ることができます。
六道絵[聖衆来迎寺/滋賀]
元は比叡山の霊山院に伝わった絵画で、命ある者が行いによって生まれ変わる6つの世界「六道」を描いていて、比叡山焼き討ちの時に琵琶湖川の麓、比叡山坂本にある聖衆来迎寺に移されたのだそうです。 全部で15幅あり、今回は前期に「黒縄地獄」、後期に「天道」、「閻魔王庁」「人道無常相」は期間を通して公開されます。
前期(2/8~2/27)
伝教大師入唐牒[延暦寺/滋賀]
入唐牒は、役所が発行するパスポートや通行手形のようなもので、最澄が唐に渡った時の2通が残っています。 往路用は明州(中国浙江省寧波)で発行、復路用は台州(中国浙江省台州市)で発行されています。
伝教大師将来目録(最澄筆)[延暦寺/滋賀]
遣唐使などで唐に渡った僧たちは、自身が仏教を学んだり会得するだけでなく、貴重な経典や仏具などを日本にもたらしました。 これは最澄自身が記録した、日本に持ち帰ったもののリストです。
天台法華宗年分縁起(山家学生式)(最澄筆)[延暦寺/滋賀]
最澄が嵯峨天皇に宛てて書いた3通の文書で、最澄の悲願だった「戒壇(正式に僧侶になるための儀式を行う場所)」を延暦寺に作るために、執筆をつづけていたのだそうです。 ここで書かれている「一隅を照らす」は、今でも天台宗の寺院でよく見かける言葉です。
紺紙金字一切経(中尊寺経)[中尊寺/岩手]
中尊寺に代表される奥州の仏教文化を築いた奥州藤原氏3代は、豪華な経典や仏具も数多く奉納しています。 紺色に染めた紙に、金字と銀字を1行ずつ交互に書写したものもありますが、今回公開される「秀衡経」は紺紙に金泥で書かれているようです。
後期(3/1~3/21)
伝教大師度縁案並僧綱牒[来迎院/京都]
最澄に関する古文書を集めたもので、国が正式な僧に発行した証明「度縁(どえん)」の控えや、正式な文書の「僧綱牒」が含まれます。
羯磨金剛目録(最澄筆)[延暦寺/滋賀]
これも前期に公開される『伝教大師将来目録』と同じ、遣唐使で持ち帰った経典や仏具を最澄が自筆で記した目録で、巻頭が燃えてしまった結果、文書が「羯磨金剛」から始まるので羯磨金剛目録と呼ばれています。
弘法大師請来目録(最澄筆)[東寺/京都]
こちらは、最澄と同時期の遣唐使船で唐に渡った弘法大師空海が日本に持ち帰った経典や仏具のリストです。 空海によって書かれた原本は朝廷に提出され、これは最澄が書写したと考えられ、紙の継ぎ目には延暦寺の前名「比叡寺」の印が押されています。 延暦寺に伝わっていましたが、暦応4年(1341年)に東寺に譲られたのだそうです。
慈恵大師自筆遺告[蘆山寺/京都]
おみくじを始めた人として有名で、ちょっと愛嬌のある鬼の姿にも現される慈恵大師良源(元三大師、角大師とも)の遺言状です。 良源は体調を崩してこれを書きますが無事に回復し、後に大僧正にまで出世しています。
法華経(浅草寺経)[浅草寺/東京]
東京浅草のランドマーク浅草寺は関東を代表する天台宗の寺院です。 金箔を散らし金泥で花鳥が描かれた料紙に、小野道風が書写したという伝承のある装飾経です。 螺鈿細工で蝶や鳥が施された軸や、経巻を巻く紐なども、当時のものが残っています。
普賢菩薩像[豊乗寺/鳥取]
鳥取と岡山の県境で、因幡街道の宿場町にある豊乗寺は、空海の弟で弟子でもあった真雅という僧が建立した古刹です。 平安後期に描かれた貴族的な仏画で、女人救済を説いた法華経に登場する普賢菩薩は女性の信仰を集めました。 寺が戦火にあった時は、地中に埋めて残ったのだそうです。
展覧会 概要
日程:2022/2/8~3/21
時間:9:30~17:00(入館は30分前まで)
休館:毎月曜日(3/21は開館)
料金:一般¥1,900、高大生¥1,200、小中生¥800
九州国立博物館 公式サイト