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情報|東京国立博物館「聖徳太子と法隆寺」2021/7/13~9/5

情報-博物館・美術館

2021/8/21「鑑賞ログ」追記

聖徳太子1400年遠忌

ある年代以上の方々には、高額紙幣のイメージが強い「聖徳太子」は飛鳥時代の皇族で、用明天皇とその皇后の穴穂部間人皇女との間に生まれました。 厩戸(うまやど)皇子と呼ばれて、日本初の女性天皇となった推古天皇の皇太子になり、政治を補佐して遣隋使の派遣や十七条憲法を制定します。 日本に伝わって間もない仏教を信仰して、仏教を中心とした国づくりを目指し、法隆寺や四天王寺など建立した寺院は後世の太子信仰の拠点になります。 推古天皇30年(622年)の2月22日(旧暦)に49歳で亡くなったので、今年は1400年の遠忌にあたります。

法隆寺西院の廻廊の外側にあって、現在は御朱印スポットで大混雑している国宝『聖霊院』では、月遅れの3月22~24日に命日の法要「お会式」が執り行われていますが、1400年の今年は昨年に続き一般の参加ができません。 こんなタイミングで新型コロナとは残念なことですが、聖霊院の厨子の奥で秘仏とされている聖徳太子と4体の侍者像が、奈良と東京の展覧会にお出ましになりますよ。

法隆寺 国宝『聖霊院』

聖徳太子と法隆寺 展

国立博物館では、歴史上の人物や高僧の遠忌など記念の年に、大規模な展覧会が開かれることが多く、2021年は「聖徳太子と法隆寺」の他に、鎌倉時代に戒律を再興した凝然や、天台宗を開いた最澄などの展覧会もあり、とても楽しみです。 聖徳太子関連では、大阪市立美術館と東京のサントリー美術館を巡回する、四天王寺と2館が企画する聖徳太子展もあり、四天王寺に伝わる太子ゆかりの宝物が公開されるようです。

今回の展覧会は「聖徳太子と法隆寺」ということで、聖徳太子が住まった「斑鳩宮」の隣地に建てられた法隆寺西院と、太子の皇子で一族の長だった「山背大兄王」が滅亡した後に斑鳩宮跡に建てられた法隆寺東院の宝物が多く集められています。 東京国立博物館には「法隆寺宝物館」という建物があり、明治時代に法隆寺から皇室に献納された宝物類が常設展示されていますが、ここからもかなりの数が出るようです。

法隆寺も東博の法隆寺宝物館も、行くといつでもかなりの数の国宝が観られるので、どちらも行ったことがある方は、観たことのある品が多いかもしれません。 ですが、そこは国立博物館が2館で企画する特別展で、めったに公開されない『天寿国繡帳』や、お会式では山積みのお供え物でご開帳なのにほとんど見えないと噂の『聖徳太子像』など、レアな文化財も多いんです。 それから、皇室に伝わる宝物で宮内庁管理のために国宝指定から外れるという「御物(ぎょぶつ)」から、聖徳太子が記した3つの経典の注釈書「三経義疏」の中で、これだけが聖徳太子の真筆だと伝わる「法華義疏」が公開されます。

この展覧会で観られる国宝

通期

聖徳太子像・侍者像[法隆寺 聖霊院]

法隆寺聖霊院の秘仏で、年に数日のご開帳日には高く積まれるお供え物に隠れてしまい、その前夜のお逮夜は、暗い厨子の中でほとんど見えないという超レアな聖徳太子像です。 脇侍?は太子ゆかりの4名で、皇子の山背王、弟の殖栗王と卒末呂王、仏教の師といわれる恵慈法師も一緒に出開帳となります。 寺外での公開は27年ぶりということで、一生に何度あるかレベルの貴重な機会です。

鵲尾形柄香炉[東京国立博物館 法隆寺宝物館]

東京国立博物館の法隆寺宝物館で常時展示されています。 仏に香を捧げるために使用する、金属製の柄付きの香炉で、柄の先が鵲の尾のように見えることからこの名前が付いています。

灌頂幡[東京国立博物館 法隆寺宝物館]

仏堂を飾るための、透かし彫りをした金属製の板で、こちらも法隆寺宝物館で常設展示されていて、北東側の階段にはきらびやかに再現されたレプリカが展示されています。

墨台水滴 [東京国立博物館 法隆寺宝物館]

こちらも法隆寺宝物館の常設展示で、聖徳太子が愛用した書道の道具です。 ですが、それは伝承ということで、実際はもう少し後の時代の8世紀頃に作られたもので、エキゾチックな装飾が現代の雑貨屋さんにあってもおかしくない、素敵なものです。

行信僧都坐像[法隆寺 夢殿]

夢殿のある東院伽藍を復興した奈良時代の僧「行信僧都」の坐像で、夢殿に安置されていて、救世観音が非公開の時期でもこの像は公開されています。 奈良時代の高僧像の傑作とされています。

竹厨子(行信大僧都奉納)[東京国立博物館 法隆寺宝物館]

行信僧都が奉納したという竹製の厨子で、法隆寺献納物の1つですが、常時展示はされず数年に1度程度の公開です。

薬師如来坐像・台座[法隆寺 金堂]

法隆寺の本堂にあたる「金堂」から、は用明天皇が発願したという薬師如来と台座が出展されます。 薬師如来の衣は流れるようなドレープで、穏やかな笑みをたたえています。

四天王立像から広目天・多聞天[法隆寺 金堂]

薬師如来と同じく金堂からで、内陣の四方を守護する日本最古の四天王は、向かって左奥の「広目天」と、右奥の「多聞天」がお目見えです。 四天王というと、躍動感のある武将姿を思い浮かべますが、こちらの四天王は古い形式のようで、邪鬼の上に真っ直ぐ立っています。

天蓋 から鳳凰・飾金具・天人[法隆寺 金堂]

令和2年(2020年)に国宝に指定されたばかりの最新の国宝です。 法隆寺金堂の天井に据えられたもので、鳳凰や天人の彫刻が出展されます。

伝橘夫人念持仏厨子[法隆寺 大宝蔵院]

光明皇后の生母「橘美千代」の念持仏だったと伝わる阿弥陀三尊で、当時からの厨子も国宝に指定されています。 法隆寺の宝物館「大宝蔵院」で常時展示されています。

前期(7/13~8/9)

天寿国繡帳・残片[中宮寺/奈良]

聖徳太子の没後に、宮中の采女(女官)によって刺繍された帳で、太子が死後に住まう天寿国を表していますが、この天寿国というのは経典には見当たらないんだそうです。 布製品は劣化の心配があり、あまり公開されないので、ぜひ観ておきたいです。

竜首水瓶[東京国立博物館 法隆寺宝物館]

法隆寺宝物館で常時展示されている、龍の首が注ぎ口になったペルシャ風の水瓶です。 普段はひっそりしていますが、2019年秋の東京国立博物館「正倉院の世界」では大人気で嬉しくなりました。 今回も人だかりができるでしょうか。

細字法華経・経筒[東京国立博物館 法隆寺宝物館]

法隆寺宝物館でも数年おきにしか公開されないレアキャラです。 巻末に長寿3年(694年)という唐の元号がある古写経で、附指定の香木で作られた経筒も公開されます。

黒漆螺鈿卓[法隆寺]

法隆寺の宝物は、大半が堂内や大宝蔵院でいつでも観ることができますが、後期に展示される『四騎獅子狩文錦』とこの卓だけは非公開です。 この展覧会に出展されている、聖霊院安置の聖徳太子像の前に置いて、仏具や供物を置いていたようです。 リストで並んで書かれているので、往時の姿が再現されるのではないでしょうか。

後期(8/11~9/5)

四騎獅子狩文錦[法隆寺]

前期に公開される『黒漆螺鈿卓』とこの錦は、法隆寺を訪れても観ることができず、公開される機会も少ないです。 遣隋使によってもたらされ、聖徳太子が自身の御旗にしたという伝説が伝わります。 救世観音がフェノロサと岡倉天心によって開扉されたとき、一緒に発見されたんだそうです。

法隆寺献物帳[東京国立博物館 法隆寺宝物館]

聖武天皇が崩御されると、光明皇太后と孝謙天皇が東大寺(現在の正倉院宝物)をはじめとする寺院に遺品を奉納しました。 これは法隆寺に奉納された遺品のリストで、麻で作った布の一面に「天皇御璽」印が押されています。 これも常設展示はされておらず、1~3年ごとに公開されています。

上宮聖徳法王帝説[知恩院/京都]

平安時代頃に成立した、聖徳太子に関する伝記や系図をまとめたもので、江戸時代頃まで法隆寺に伝わりましたが、現在は京都の知恩院が所有しています。 前期に公開される『天寿国繡帳』は大半が失われていますが、亀の甲羅に刺繍された銘文が記録されています。

VR「聖徳太子のこころ」

東京国立博物館 東洋館の地下1階には、東京国立博物館と凸版印刷による「TNM & TOPPAN ミュージアムシアター」があり、特別展に関連する作品が上映されます。 VRですがゴーグルを着けるのではなく、スクリーンに映された映像を自由に(操作は係りの方ですが)動かして様々な角度から観ることができるというものです。 解説をしながらズームしたり角度を変えて見せてくれて、万博のパビリオンのようなイメージです。 別料金ですが、特別展の鑑賞前に観ておくと、展示での見どころが変わってくるかもしれません。

営業日:水~日曜日
上映時間:12:00、13:00、14:00、15:00、16:00(土日祝は11:00~もあり)

展覧会 概要

この展覧会は混雑緩和のため事前予約制になっています。入場には日時指定券の予約が必要ですのでご注意ください

期間:2021/7/13~9/5 
休館:月曜日(8/9は開館、8/10は特別展のみ休館)
時間:9:30~17:00
料金:一般¥2,200、大学生¥1,400、高校生¥1,000

東京国立博物館 公式サイト

鑑賞ログ

このコロナ禍で美術鑑賞をする人の教訓になりつつある「観たいものは早く行っとけ」で、聖徳太子展も開始早々に一度と、後期展示になったので早めにと思い、当日券で行ってまいりました。 今年から導入された予約システムは、予約枠の12時間前まで、e+も前日までと、ちょっと予約がしずらいのですよね。 当日に予約枠の残人数から空き具合を見計らって・・・、ができなくて困っております。 ただ、この展覧会に関してはそこまでの混雑ではないので、当日窓口で整理券をもらえば大丈夫なので、私はこの方法を利用しています。

今回の展覧会はそれほど大きな展示替えがなく、目玉になるようなものは通期展示が多かったです。 特別展の値段も高くなっていることですし、1度でいいかなとも思いましたが、未見の『天寿国繡帳』と『四騎獅子狩文錦』が前後に分かれていたため、2度目の訪問になりました。

5つの章に分かれていて、第1章は「聖徳太子と仏法興隆」で、聖徳太子の人物像と日本での仏教黎明期についての展示です。 聖徳太子と法隆寺に関する宝物は、東博では法隆寺宝物館で常設展示されているので、太子遺愛と伝わる書道具の墨床・水注・匙セットはお馴染みですが、今回は重文の「陶硯」も一緒に展示されています。 そしてこのセットで書かれたというのが、御物の「法華義疏」で、少し離れたケースで公開されています。 聖徳太子の書はちょっと独特な筆跡で、雰囲気のあるフォントのような文字でした。

第2章は法隆寺の創建で、聖徳太子生前の「若草伽藍」の軒瓦などが展示されていますが、これがギリシャ風というか、繊細で可憐な唐草模様なのです。 この辺りも平成館の1階で常設展示されていそうですが、奈良時代頃のものとはかなり風情が違います。 そして今回のお目当て『四騎獅子狩文錦』は、想像していたよりもかなり良い状態で残っていて、場所によっては獅子と人物の模様がしっかりと残っています。 色は褪せていますが、1400年も昔の絹織物がこんな状態で残っているというのは、奇跡的なことなのではと感動を覚えました。 前期の『天寿国繡帳』の繊細さと可愛らしさはとても日本的で、唐から渡ってきた獅子狩文錦と良い対照です。

第3章は「聖徳太子と仏の姿」で、後世の聖徳太子信仰についての展示でした。 正面には、法隆寺聖霊院の秘仏『聖徳太子と侍者像』が並びます。 お会式と前日のお逮夜しか御開帳されないのに、山と積まれたお供え物や暗さでほとんど観れないという噂の像が、ガラス越しとはいえ目の高さで至近距離で観られます。 ちょっとユーモラスな皇子達の顔を眺めながら、あぁ私は今生でまた貴方にお会いすることはあるかしら?と、貴重な対面を楽しみました。 前期に出ていた『黒漆螺鈿卓』は、この像の前に置いてあったのですよね。 再現展示はされませんでしたが、隣のケースで再開するところが見られました。

グッズ販売で聖徳太子の愛犬をモデルにした「雪丸」グッズに後ろ髪をひかれながら第二会場へ。 第4章は「法隆寺東院とその宝物」です。 東院は、聖徳太子の宮跡に建立されたエリアで、あの有名な『夢殿』も東院にあります。 聖徳太子の手のひらからこぼれ落ちた仏舎利をまつる「舎利殿」に関する展示と、後期には聖徳太子の「七種宝物」が全て展示されています。 七種宝物は私もこの展覧会で初めて知ったのですが、東博のブログで詳しく解説されているので、ぜひ読んでみて下さい。 要注目は、梵網経のタイトル「題箋」で、この経典を写経した聖徳太子の皮膚を張り付けたという伝承があるそうです。 実際の写経時期は平安時代のようですが、この題箋には毛穴があるので、本当に人の皮膚を使っているようですね、恐るべき信仰心。

最後の第5章は「法隆寺金堂と五重塔」で、西院伽藍からお出ましになった仏像が多数展示されています。 四天王の衣装の背中側の美しいプリーツや、薬師如来の台座にうっすらと残る絵など、金堂の中では観られない部分までしっかり拝見します。 ここで印象に残ったのは、法隆寺で「六観音」として伝わる童子形の菩薩立像6躯で、後世の六観音とは違って観音・勢至・文殊・普賢・日光・月光と、阿弥陀・釈迦・薬師の脇侍になっていますが、当初の尊名は不明なようですね。 これが何とも味わいのあるお姿で、表情も装飾も観ていて飽きません。 展示の最後は『伝橘夫人念持仏』と『厨子』で、大宝蔵院では厨子に入って展示されていますが、今回は別々に展示されていて、三尊は目の高さまで下げられていますので、土台の彫刻の美しさや三尊を支える支柱の彫刻など、細かいところまで観られます。 女性らしい柔和さと華やかさにあふれた美しいものでした。

法隆寺と東博の法隆寺宝物館に行ったことがある人は、観たことがあるものが多いと思いますが、普段は離れ離れになっている太子ゆかりの宝物がまとめて観られて、やはり満足度の高い展覧会でした。

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